保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(15)
天皇に「過酷な運命」強いた帝国主義

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昭和天皇「摂政を考えているのじゃないだろうね」

   平成22(2010)年に昭和天皇の晩年に侍従を務めた卜部亮吾の日記が公刊された。この書の中で昭和天皇は意外なことを口走っていることがわかった。昭和63(1988)年の秋からはほとんど寝たきりの状態になったのだが、その折に侍従たちに、「摂政を考えているのじゃないだろうね」とか「(皇太子の政務代行は)今回限りだからね」と漏らしているのである。それもしばしばなのである。これは何を語っているのか。

   容易に推測できるのだが、昭和天皇は自らが父・大正天皇から天皇の座を奪ったのではないかと恐れていたのである。卜部の日記は、はからずもこのことを明かしたのだ。

   平成の天皇はこのような事実に触れたとき、当然ながらそこに非人間的な伝統の怖さを確認したのではなかったかと思える。この怖さは国民には決して理解できない。どのような怖さなのかを理解できるといったら、それは嘘になる。私たちは平成の天皇のメッセージにひそんでいる訴えを理解できるか否かが問われていると考えるべきなのである。

   そしてことの本質は、今この国は天皇と国民の間にどのような回路、あるいは紐帯がつくられるべきかが問われているといっていい。私たちはそのような視点を見ずに平成を論じることはできないし、明治維新150年を論じることはできない。

   この一連の稿は、明治維新150年を単に歴史の流れとしてとらえるのではなく、もし150年の出発点において、四つの国家像があり得たらと考えて、歴史を見つめる目を強靭に鍛えることを目的としている。現実に日本が選択したのは、第一の道の帝国主義の国家であった。そして明治、大正、昭和、そして平成の天皇についての可視と不可視の部分を見てきた。ここでひとまずわかったのは、天皇のあり方をより精緻に見ていくなら、第一の道は天皇に過酷な運命を強いているとの事実でもあった。むろんこのことについて、私はもう何点かを指摘しながら考えを深めていきたいと思う。(第15回に続く)




プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。

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