日本人の中卒新弟子にこだわったこと、内助の功も
貴乃花親方は部屋を立ち上げた当時、海外出身の力士のスカウトをしていなかった。貴乃花親方がこだわったのは中卒の新弟子で、早い出世が見込める大学生にも声をかけることはなかった。これは二子山親方がこだわってきたことで、貴乃花親方は父の信念を継承した形となる。
だが、部屋を興してから4年経っても関取が誕生せず、方針を転換した貴乃花親方は、2008年にモンゴル出身の貴ノ岩をスカウト。この貴ノ岩が2012年名古屋場所で十両に昇進し、貴乃花部屋初の関取誕生となった。
大所帯の二子山部屋を仕切っていたのは貴乃花親方の母である花田憲子さんだ。50人を超える弟子とともに部屋に住み込み、時には弟子たちの母として、時には部屋の広報として陰で部屋を支えてきた。
憲子さんは、ほとんどが中卒の新弟子たちの悩みを実の親に代わって聞き、小遣いを与えるなど私生活で面倒を見てきた。また、メディアの対応窓口を一手に担い、部屋の力士にとって悪いニュースが出れば記者に「教育的指導」を与えるなど、部屋を守ってきた。対照的に貴乃花部屋のおかみさんである景子さんは、角界のしきたりに背くように部屋に住み込むことをせず、部屋通いのおかみさんだった。