貴乃花親方を破滅に追い込んだ「忖度相撲人生」

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   日本相撲協会は2018年10月1日、東京・両国国技館で臨時理事会を開き、貴乃花部屋の力士と床山、世話人の計10人が千賀ノ浦部屋に移籍することを承認した。これに伴い貴乃花部屋が消滅し、師匠だった貴乃花親方の退職が確定した。

   一連の退職騒動を振り返ってみると、貴乃花親方と協会との間の溝の深さが浮き彫りとなり、貴乃花親方のコミュケーション力の低さが際立つ。それはある面、若いころから周りに特別視されて育てられ、周囲の忖度の中で大人になってしまった人生の結果だったのかもしれない。

  • 貴乃花親方(2018年9月25日撮影)
    貴乃花親方(2018年9月25日撮影)
  • 貴乃花親方(2018年9月25日撮影)

貴乃花親方の忖度相撲人生とは

   なぜ、貴乃花親方は協会内で孤立してしまったのか。これもすべて、平成の大横綱が歩んできた「忖度相撲人生」に起因しているように感じる。

   貴乃花親方は中学卒業後、父・二子山親方(元大関貴ノ花)が興した二子山部屋に入門。小学生時代にわんぱく相撲で横綱となり、貴ノ花二世として入門当初から世間の注目を浴びた。

   初土俵から快進撃を続け、1989年11月場所にて17歳2か月で新十両に昇進。わずか所要9場所での大出世を果たした。貴乃花親方の「忖度相撲人生」がここから始まる。

   角界では、十両以上から関取と呼ばれ、協会から給料が支払われるようになり、事実上の「プロ」として認められる。関取になると、1人から2人程度、付け人が付き、起床から就寝まで付き人が身の回りの世話をするのが慣例となっている。

   通常、実力のある中学卒の力士が関取になるまで5、6年はかかると言われる世界で、驚異的なスピード出世をした貴乃花親方だが、その分、大多数の力士が経験する下積み生活をしてこなかった。

   ただでさえ、師匠の実子ということで特別視されていただけに、角界の常識だけでなく、社会人としての基礎を学ぶ機会を逸したように見える。

   貴乃花親方の機嫌が悪く、メディアに無言を貫くことがままあったが、そのような時は、年上の兄弟子が気を利かせて事前にメディアに頭を下げてその旨を通達することもあった。

忖度の先に待ち受けた貴乃花親方の破滅

   取材するメディアもまた、貴乃花親方に気を配ってきた。貴乃花親方が横綱に昇進すると、その傾向はより強くなった。場所中、力士の取材は支度部屋で行われ、暗黙の了解で力士がマゲを結っている間が取材の時間となる。

   勝負の結果とは無関係に、メディアは力士に取材するが、貴乃花親方の場合、負けた日にノーコメントを貫くことが多くみられた。メディアは2、3の質問を投げかけるが、貴乃花親方に話す気がないと悟ると、質問は途絶える。ノーコメントに対してメディアは決して追及はしなかった。平成の大横綱は、唯一、力士の中で「勝手」が許された存在だった。

   現役引退後もまた、忖度され続ける。引退後の協会内での位置づけは、現役時代の番付によって異なり、横綱の貴乃花親方は将来の幹部が約束されていたが、協会は周囲の予想を超える待遇をしてきた。

   引退後わずか5年の親方に役員待遇委員・審判部副部長の椅子を用意し、「貴乃花の乱」として知られる2010年の理事選後、貴乃花グループを貴乃花一門として承認。貴乃花親方は25日の会見で協会に対して批判を繰り返したが、これまで協会は貴乃花親方に対してかなり譲歩してきたといえる。

   貴乃花一門発足時、脇を固めた6人は年上の親方だった。中学卒業後、二子山に入門して以来、兄弟子の付け人、メディアから忖度され続けた貴乃花親方に、味方する親方の声はついに届かなかった。

   最後は、側近中の側近だった阿武松親方(元関脇益荒雄)の助言にも耳を貸さなかったほど、関係が悪化。協会を追放されたというよりは、組織の中で孤立したために、協会から去ることを選択せざるを得ない状況に自らを追い込んだように見える。

   孤高の親方は10月1日を持って花田光司となった。

(J-CASTニュース編集部 木村直樹)

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