貴乃花親方を破滅に追い込んだ「忖度相撲人生」

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忖度の先に待ち受けた貴乃花親方の破滅

   取材するメディアもまた、貴乃花親方に気を配ってきた。貴乃花親方が横綱に昇進すると、その傾向はより強くなった。場所中、力士の取材は支度部屋で行われ、暗黙の了解で力士がマゲを結っている間が取材の時間となる。

   勝負の結果とは無関係に、メディアは力士に取材するが、貴乃花親方の場合、負けた日にノーコメントを貫くことが多くみられた。メディアは2、3の質問を投げかけるが、貴乃花親方に話す気がないと悟ると、質問は途絶える。ノーコメントに対してメディアは決して追及はしなかった。平成の大横綱は、唯一、力士の中で「勝手」が許された存在だった。

   現役引退後もまた、忖度され続ける。引退後の協会内での位置づけは、現役時代の番付によって異なり、横綱の貴乃花親方は将来の幹部が約束されていたが、協会は周囲の予想を超える待遇をしてきた。

   引退後わずか5年の親方に役員待遇委員・審判部副部長の椅子を用意し、「貴乃花の乱」として知られる2010年の理事選後、貴乃花グループを貴乃花一門として承認。貴乃花親方は25日の会見で協会に対して批判を繰り返したが、これまで協会は貴乃花親方に対してかなり譲歩してきたといえる。

   貴乃花一門発足時、脇を固めた6人は年上の親方だった。中学卒業後、二子山に入門して以来、兄弟子の付け人、メディアから忖度され続けた貴乃花親方に、味方する親方の声はついに届かなかった。

   最後は、側近中の側近だった阿武松親方(元関脇益荒雄)の助言にも耳を貸さなかったほど、関係が悪化。協会を追放されたというよりは、組織の中で孤立したために、協会から去ることを選択せざるを得ない状況に自らを追い込んだように見える。

   孤高の親方は10月1日を持って花田光司となった。

(J-CASTニュース編集部 木村直樹)

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