日本相撲協会は2018年10月1日、東京・両国国技館で臨時理事会を開き、貴乃花部屋の力士と床山、世話人の計10人が千賀ノ浦部屋に移籍することを承認した。これに伴い貴乃花部屋が消滅し、師匠だった貴乃花親方の退職が確定した。
一連の退職騒動を振り返ってみると、貴乃花親方と協会との間の溝の深さが浮き彫りとなり、貴乃花親方のコミュケーション力の低さが際立つ。それはある面、若いころから周りに特別視されて育てられ、周囲の忖度の中で大人になってしまった人生の結果だったのかもしれない。
貴乃花親方の忖度相撲人生とは
なぜ、貴乃花親方は協会内で孤立してしまったのか。これもすべて、平成の大横綱が歩んできた「忖度相撲人生」に起因しているように感じる。
貴乃花親方は中学卒業後、父・二子山親方(元大関貴ノ花)が興した二子山部屋に入門。小学生時代にわんぱく相撲で横綱となり、貴ノ花二世として入門当初から世間の注目を浴びた。
初土俵から快進撃を続け、1989年11月場所にて17歳2か月で新十両に昇進。わずか所要9場所での大出世を果たした。貴乃花親方の「忖度相撲人生」がここから始まる。
角界では、十両以上から関取と呼ばれ、協会から給料が支払われるようになり、事実上の「プロ」として認められる。関取になると、1人から2人程度、付け人が付き、起床から就寝まで付き人が身の回りの世話をするのが慣例となっている。
通常、実力のある中学卒の力士が関取になるまで5、6年はかかると言われる世界で、驚異的なスピード出世をした貴乃花親方だが、その分、大多数の力士が経験する下積み生活をしてこなかった。
ただでさえ、師匠の実子ということで特別視されていただけに、角界の常識だけでなく、社会人としての基礎を学ぶ機会を逸したように見える。
貴乃花親方の機嫌が悪く、メディアに無言を貫くことがままあったが、そのような時は、年上の兄弟子が気を利かせて事前にメディアに頭を下げてその旨を通達することもあった。