「妊娠はしておらず、今後も仕事を続けていく」「なお、妊娠はしていない」――最近の芸能人の結婚報道には、よくこんなフレーズが登場する。あなたも、一度は見たことがあるはずだ。
そんなこと、わざわざ書く必要はあるの? この常套句に、そう疑問を呈する人も少なくない。実際のところ、いつからこのフレーズは使われるようになったのか。過去の報道事例を調べてみると――。
志田未来結婚で並んだ「妊娠していない」
「志田は妊娠しておらず、今後も仕事を続ける」(デイリー)
「挙式・披露宴は未定で、妊娠はしておらず、仕事は続ける」(サンスポ)
「妊娠はしておらず、仕事は続けていく」(報知)
「志田は妊娠はしておらず、仕事は続けるという」(ニッカン)
「志田は妊娠しておらず、仕事は続けるという」(スポニチ)
2018年9月14日発表された、女優・志田未来さんの結婚についての記事である。主要スポーツ紙はいずれも、まるで判で押したように同じ表現で、志田さんの妊娠の有無に言及した。近年、有名人が結婚すると、ほぼ必ずこの「妊娠はしておらず」「妊娠はしていない」といった一節が(「できちゃった婚」の場合を除き)記事には盛り込まれる。
もちろん、読者にとっては気になる情報には違いない。しかし、違和感を持つ人も多いようだ。たとえば、歌手の和田アキ子さんである。7月29日放送の「アッコにおまかせ!」(TBS系)では、俳優の三浦翔平さん・桐谷美玲さんの結婚を伝えた際、「いちいち言わなくていいと思うんだけど。なんか生々しい」と、不快感を示す一幕があった。今回の志田さん結婚報道をめぐっても、ツイッターなどでは、「なんか違和感というか気持ち悪く感じる」「それセクハラじゃないのか?」といった声が相次いだ。
最古の記事は1998年?
このフレーズは、いつから、なぜ使われるようになったのか。
「日経テレコン」のデータベースで過去のスポーツ紙報道を調べてみると、1990年代には使用事例がほとんど見られない。最も古い例として確認できるのは、1998年の女優・鈴木杏樹さんの場合だ。
「関係者によると、二人そろってティファニーの300万円の婚約指輪を購入。妊娠はしていないという」(ニッカン、6月7日付)
この結婚は、お相手が10歳以上年上の医師だったということもあり、ノーマークだったメディアが大騒ぎに。それもあって一部では、「できちゃった婚だ」という誤報も流れたという。わざわざ「妊娠はしていない」の一言が入ったのは、それを打ち消すためだろう。「必然性」のある表現だったわけだ。
その後、2000年代初頭までは、各紙一年に1~2記事あるかないか。その中で、比較的目立つのはアナウンサーなど、テレビ局関係者が主題の場合だ。
「日テレ・山王丸和恵アナがカメラマンと社内結婚 今月8日に入籍」(報知、1999年8月10日付)
「林恵子アナがダイエー・松中信彦との結婚へ番組降板 堀井美香アナが第2子を出産」(報知、2000年9月28日付)
「永井美奈子が同い年会社経営者と結婚 超豪華指輪!!」(スポニチ、2000年12月27日付)
「テレビ東京・家森アナと中日・関川外野手が結婚」(報知、2002年11月13日付)
当時は「寿退職」も珍しくなく、妊娠なら担当番組降板の可能性もある。現在もしばしばセットになる「仕事は続ける」という表現も、本来は女子アナを念頭に置いたものだったと考えるとわかりやすい。
日本人の「スキャンダル観」の変化映す
使用例が増え始めるのは2003年ごろで、たとえば、女優・江角マキコさんの結婚では、
「妊娠はしておらず、関係者によると4月期の連続ドラマへの出演が決まっており、挙式は早くても今秋になるという」(ニッカン、2003年1月28日付)
といった形で報じられた。
その後2005年ごろには、当初あまりこの表現を使っていなかったデイリーなどでも用例が見られ始める。データベースの収載期間の関係もあり、単純な件数の比較は難しいが、遅くとも2007年ごろには各紙当たり前に使うように。
いったんまとめると――元々「妊娠はしておらず」という表現は、事前に妊娠説があった場合や、女子アナなど限られたケースでしか使われていなかった。ところが、2000年代半ばごろから急激に普及し、やがて常套句化する。
こうした変化の背景には何があるのか。「それだけ、できちゃった婚が当たり前になったということでしょう」と見るのは、芸能評論家の肥留間正明氏だ。
「昔は、たとえばアイドル同士の交際はそれ自体が『スキャンダル』。キスをした、家に泊まった、というだけで謹慎ものでした。だからこそ、芸能レポーターがあれだけ活躍できたわけです」
「授かり婚」普及とも時期重なる
「ところがこの20年ほどで、社会的状況が変わった」と肥留間氏は続ける。
「不倫、あとは薬物や事故などの反社会的行為には風当たりがキツくなる一方、芸能人に厳しい倫理観を求める意識がなくなり、良く言えばなんでも隠さずに出せるようになった。交際くらい当たり前、なんなら妊娠だっていいじゃないかと」
昔なら大スキャンダルだった「できちゃった婚」も、いつしか「なんだ、『でき婚』か」程度の扱いに。だからこそその逆、「妊娠はしておらず」ということもわざわざ書かれるようになった、というわけだ。
厚生労働省の統計によると、「結婚期間が妊娠期間より短い出生数が嫡出第1子出生に占める割合」――つまり、「できちゃった婚」が夫婦の第1子に占める割合は、1980年には12.6%程度だったが、2000年には26.3%に達し、以後も25%前後で推移している。また2005年ごろからは、「授かり婚」など、できちゃった婚をポジティブに言い換える動きも出始めた。「妊娠はしておらず」普及とほぼ同じ時期である。
「妊娠はしておらず」という不思議な表現は、2000年代前半のこうした社会の変化を反映して生まれたものだといえる。
「自ら公表」以外は消えていく?
一方、最近ではこの表現に違和感を覚える人が少なくないのは、上に述べたとおりだ。
2015年、自身のブログで「妊娠はしておらず」への疑問を表明したのが、千葉商科大学国際教養学部専任講師で労働社会学者の常見陽平氏である。J-CASTニュースは改めて、この言葉についての見解を聞いた。
「カップルのあり方が多様化し、たとえば同棲はするけど入籍はしない、という人も増えています。そうした中で『妊娠の有無』だけをことさらに取り上げるのは、自ら公表した場合は別として、やはり好ましくないのでは」
たとえば、日常生活の中で相手に「妊娠しています?」と気軽に聞けるだろうか。常見氏はそう問いかける。確かに昔ならいざ知らず、「不妊」やあえて子供を持たないという選択、はたまたLGBTへの理解が広まりつつある今日では、デリカシーを欠く質問だとみなされるだろう。
「妊娠しているかどうか、ということに興味・関心が持たれるのはわかります。とはいえ、公人であっても妊娠の有無はプライバシーですし、デリケートな問題です。私自身、妊活に取り組んだ経験がありますが......。『妊娠はしていない』という表現自体に傷つく人だっているんです」
今後は有名人であっても、「そっとしておいてほしい」という権利が認められる方向に進み、交際・結婚報道そのものが慎重さを求められるようになるだろう、と常見氏は予測する。となれば、「妊娠はしておらず」という言葉が消える日も、そう遠くはなさそうだ。
「妊娠はしておらず」――使われ始めて20年、一般に広まって10年。何気ない言葉の中に図らずも、世の中の移り変わりが垣間見える。
(J-CASTニュース編集部 竹内 翔)