父の無念「幻の金メダル」を果たすため
当時、山本さんが語ったことで一番、印象に残っているのが、父・郁榮さんへの思いだった。1972年ミュンヘン五輪に出場した郁榮さんは、金メダル候補のひとりだった。だが、試合では不可解な判定が続き、結果はメダルには遠く及ばず7位。この不可解な判定については、当時、政治的な意向により、東側諸国に有利な判定が下されたのではないかと噂された。郁榮さんと5回戦で対戦したカザロフ(当時ソ連)が金メダルを獲得したこともあり、メディアでは郁榮さんの「幻の金メダル」と報道された。
この出来事を知ったのは、山本さんが5歳だったという。当時の新聞記事を見つけた山本さんの目に入ってきたのが、父が泣き崩れている姿だった。なぜ、父は泣いているのか。その後、詳細を知ることになった山本さんにとって、五輪とは父の無念を晴らすためのリベンジの場所だった。
「長男の俺がオリンピックで金メダルを取ることで父親が報われる。それがすべて」