女優の樹木希林(本名・内田啓子)さんが2018年9月15日、亡くなった。75歳だった。各メディアが16日夕、一斉に報じた。
13年に全身のがんであると告白。闘病を続けながらも、女優としての活動を続けた。訃報を受けてインターネット上では、樹木さんを起用した宝島社の企業広告「死ぬときぐらい好きにさせてよ」を思い出すユーザーが相次いでいる。
1か月前には「うっかりあちらに送られる側に...」
樹木さんは18年8月13日、左大腿(だいたい)骨を骨折して入院。スタジオ出演する予定だった16日放送のNHK BSプレミアム番組には電話で出演し、「うっかりあちらに送られる側になるところでした」とユーモラスに語っていた。
また、娘婿で俳優の本木雅弘さん(52)は30日のイベントで、樹木さんががんの影響で一時危篤状態にあったことを明かしていた。このとき本木さんは、
「細い糸1本でやっとつながってる 声一言もでないの しぶとい困った婆婆です」
という樹木さん直筆のメッセージも紹介していた。
それから約2週間後の訃報。ツイッターやネット掲示板には、「希林さんの生き方 お芝居も大好きでした」「大好きだった。樹木希林さん、ありがとう」と惜しむ声が相次いで寄せられている。
「なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう」
樹木さんは、宝島社が16年1月5日に全国紙4紙に掲載した企業広告「死ぬときぐらい好きにさせてよ」にも起用されていた。同年の「読売広告大賞」グランプリを受賞した作品だ。
英国の画家ジョン・エヴァレット・ミレイの名作「オフィーリア」をモチーフに、安らかな微笑みを浮かべた樹木さんが森の中で1人、水面に身を横たえているデザイン。「死ぬときぐらい~」というコピーの下に、
「人は必ず死ぬというのに。
長生きを叶える技術ばかりが進歩して
なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。
死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
ひとつひとつの欲を手放して、
身じまいをしていきたいと思うのです。
人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。
それが、私の最後の欲なのです」
とのメッセージが添えられている。
この広告について、樹木さんは宝島社に「死は特別なものとして捉えられているが、死というのは悪いことではない。そういったことを伝えていくのもひとつの役目なのかなと思いました」というコメントも寄せていた。
「死」に関する樹木さんの思いをつづったこの広告を、今回の訃報を受けて思い出すユーザーも多かったようで、ツイッターには、
「『死ぬときぐらい好きにさせてよ』。その言葉通り、好きに死ねたのかな。だと、良いなあ...」
「宝島社の広告はとても美しく、静謐かつ衝撃だった。あの微笑みの印象が今もずっと残ってる」
などの声が寄せられている。