昭和天皇は、太平洋戦争の間、常に同じ気持ちだったのではない。日本軍が最終的に勝利するように祈願していたわけではなく、つまりは皇統が守られるか否かの不安との戦いでもあった。
一方で、軍事指導者は戦争に勝てば全てが解決するとの立場だったのである。天皇の懊悩について考えが及ぶことはなかった。
昭和のファシズムは天皇をどう捉えたか
昭和のファシズムは天皇の意思や、その歴史上の多様な形を一切無視して、「天皇」を次のように捉える形で成り立っていた。
「天皇は、皇祖皇宗の御心のままに我が国を統治し給ふ現御神(あきつみかみ)であらせられる。この現御神(明神)或は現人神(あらひとがみ)と申し奉るのは、所謂絶対神とか、全知全能神とかいふが如き意味の神とは異なり、皇祖皇宗がその神裔であらせられる天皇に現れまし、天皇は皇祖皇宗と御一体であらせられ、永久に臣民・国土の生成発展の本源にましまし、限りなく尊く畏(かしこ)き御方であることを示すのである」(『国体の本義』昭和12(1937)年、文部省編纂)
天皇を現御神とし、日本人はその神の懐に抱かれる臣民だとするのである。天皇は「大神の御子孫」であり、上は皇祖皇宗の神霊を奉り、下は神として「万民を率ひ給ふ」国家だともいうのである。そのうえで天皇の大権を付与されている政治、軍事の代表者は、「大御心(おおみこころ)を奉戴して輔弼(ほひつ)の至誠を尽くす」と強調されている。
このような精神、思想で武装された国家は、当然ながらまさに神がかりになる。太平洋戦争(当時は大東亜戦争と言ったが)下の昭和18(1943)年に、陸軍の教育総監部は『皇軍史』と題する300ページ余の書を刊行している。陸軍が国民にむけて発した大東亜戦争論といってもいい。この中で強調されているのは、今次の戦争は聖戦であり、まさに神戦というのである。神武天皇が武将、兵士と共に東国を平定していったのは、神に率いられた神兵がこの国(神の国)を作り上げる偉業を成し遂げたということであった。そのうえで、大要、以下のように、全く独自の見解を示す
<今、我々はなんと幸せな時代に生きているのだろう。神武天皇という神の時代に戦さを続けた神兵の身であり、神に忠誠を誓う建国時の偉業と同じ状況にある。これに比べて、江戸時代をはじめ、戦国時代などの武士は何と不幸なのだろう。彼らは忠誠の対象を間違えて、大名などへの忠誠を誓うといった誤りを犯した。それに比べて今、我々に課せられた責務は重い>と記述するのである。