諫早干拓の高裁判決へ社説二分 「国寄り追認」VS「現実的対応」

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   2500億円以上を投じた国営諫早湾干拓事業(長崎県)を巡り、潮受け堤防の排水門の開門の是非が問われた訴訟で、福岡高裁が、開門しない判断を下した。

   訴訟は複雑な経緯をたどり、開門を命じた確定判決(2010年、福岡高裁)に対し、国が無効を求めた異例の裁判は、国の主張を追認した。開門を求める漁業者は最高裁に上告したため、最終決着にはなお時間がかかることになる。

  • 舞台は最高裁に移る(画像は、農水省九州農政局サイトから)
    舞台は最高裁に移る(画像は、農水省九州農政局サイトから)
  • 舞台は最高裁に移る(画像は、農水省九州農政局サイトから)

複雑な経緯

   2018年7月30日の福岡高裁判決に至る経緯はかなり複雑だ。諫早湾干拓は1950年代に食糧難対策の大型公共工事として構想された。減反など時代の変化で必要性が低下したが、当初計画を縮小しつつ、企業誘致や防災などの目的も加えながら継続され、89年着工。全長7キロの潮受け堤防の水門が97年4月に閉じられた、2007年11月に完工し、農業者が入植した。

   ところが、海苔の色落ちなど深刻な漁業被害が発生。佐賀県の有明海沿岸の漁業者らが2002年、干潟の浄化作用が機能しなくなったためとして、工事中止を求めて佐賀地裁に提訴。04年に被害と事業の因果関係を認め、調査目的で5年間の水門開放を命じる一審判決が出され、10年に福岡高裁が一審を支持。民主党政権の菅直人首相(当時)は上告しないことを決断し、判決が確定した。

   他方、開門すると汚染された調整池のヘドロの流出などによる漁業被害、農地への塩害などが懸念されるとして長崎県諫早市側の干拓地の入植者らが2011年4月、国に開門差し止めを求め長崎地方裁判所に提訴。民主党政権に代わった自民党・安倍晋三政権は「不戦敗」を狙って裁判で十分な反論をせず、13年11月、開門差し止めの決定が出され、「開門せず、振興基金による解決」の方針を掲げて長崎地裁の決定を受け入れた。17年には同地裁が改めて開門差し止めを国に命じている。

   ちなみに、今回の福岡高裁の審理の過程で、裁判所は、開門しない代わりに国が2016年に示した「漁業支援策を盛り込んだ100億円基金」の創設案を軸にした和解を提案したが、漁業者側は拒否していた。

罰金の支払い総額12億円

   国は開門と開門差し止めという相矛盾する司法判断の間で板挟みの形になっていたが、今回の判決が確定すれば「ねじれ」は解消される。開門を履行しない国に科せられていた1日90万円の罰金の支払いはこれまで総額は約12億円に達するが、今回、支払い停止も認めた。

   今判決は、法律論としては以下のような理由だ。

   そもそも確定判決への異議が認められるには、民事執行法の規定で口頭弁論終結後に生じた事情変更が要件になる。これについて今回の判決理由は、「漁業法は共同漁業権の存続期間を10年と定めている」と指摘したうえで、漁業者らの共同漁業権の免許期限は2013年8月で、その後に新たな免許が下りたものの「2013年8月に免許が切れた漁業権とは別だ」と判断した。漁業者側は「漁業権は再取得したため権利は続いている」と反論したが、認められなかった。

   判決について、毎日(7月31日)、朝日(8月1日)、東京(同)、読売(2日)が社説で論じているが、現実的対応として判決に理解を示す読売と、判決に批判的な3紙に、はっきり2分された。

   3紙は、今回の決定が、漁業者側には到底受け入れられないものだという認識で一致する。「確定判決に従わない国の姿勢を追認した形」(毎日)の判決には、東京は「司法の姿勢として、まずは確定判決をずっと履行しないままで、先延ばしにしてきた国側を厳しく指弾すべきではないのか。確かに国側は金銭的な解決策を出したが、漁業者側が応じないからといって、司法が国側寄りの現状維持を選択しては自己否定と同じだ」、朝日も「裁判所が下し、政府も受け入れたはずの結論を、その政府があれこれ理由をつけてひっくり返しにかかり、あろうことか裁判所も追認する――。国のあり方そのものへの不信を深める異常な事態である」と、裁判所のあり方も含めて最大限の表現で批判する。

   他方、読売は「福岡高裁は2度、和解を勧告した......が、訴訟当事者の漁業者が拒否した。歩み寄りの好機を逸したのは残念だ」と嘆き、「漁業者も国も、有明海の再生を目指す点では一致している。漁業と農業の共存へ向けて、最高裁では、和解を含めた包括的な解決を目指してもらいたい」と和解への期待を前面に押し出す。

舞台は最高裁に移る

   実は、読売は国の制裁金支払いが決まった2014年6月の社説では「干拓地の営農に大きな悪影響を及ぼさないような開門調査の方法や、被害が生じた場合の補償のあり方などについて、具体的に提案することが重要だ」と、開門を当然の前提とした論調だったが、長崎地裁の「開門差し止め」決定が出た17年4月の社説では「佐賀以外は......和解案を受け入れる姿勢を見せた。膠着状態が続いたこれまでの経緯を考えれば、大きな前進である」と、条件付きながら、国の開門せず・基金創設の路線支持に姿勢を変えており、今回の判決に意を強くして、和解推進を一段と声だかに訴えた格好だ。

   ただ、それで漁業者の理解が得られるのだろうか。確かに3紙は、「今回の判決で開門の義務は免れても、漁業者と営農者との紛争を打開する責任を免れるわけではない」(毎日)など国の責任を指摘するが、国の基金案に代わる「解決策」を提示しているわけではない。朝日が「閉め切りによってできた調整池に飛来する野鳥の被害に苦しむ営農者から、開門に理解を示す声があがったり、話し合いの場を設けようと市民団体が署名集めを始めたりするなど、新たな動きも出ている」と指摘しているのが精いっぱいの感はある。

   しかし、例えば今回の高裁決定の論拠をとってみても、「判断はあくまで形式論に基づいていないか」(東京)との疑問は当然で、読売でさえ、「漁獲量への影響といった争点には触れず、法解釈に絞った判断手法が際立つ」と、懐疑的な書き方をしているほどだ。

   まして、国が長崎地裁で「不戦敗」を狙って「漁業被害について説明せず......思惑通りの判断を得た」(朝日)姑息さは不信感を強めただけだ。何より、開門確定判決を受け、国は「干拓営農地への悪影響を防ぎながら実効性のある調査をするための開門方法や、営農者に被害が出た場合の補償など説得力のある具体策を練る必要があったはずだ」(毎日)が、これをサボタージュしたわけで、「こうした姿勢が、漁業者側の不信感を募らせた」(同)という指摘は重い。

   漁業者側の上告で舞台は最高裁に移る。国が漁業者にどこまで寄り添えるのかが問われることになる。

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