政権打倒の影に怯えた新政府
新政府は政権打倒の影に怯え、恐怖したといってもいい。くりかえすことになるのだが、新政府が 明治15年から徹底した弾圧策を講じていくのを見ても、この恐怖心の大きさを容易に想像できるのだ。さらに輪をかけていたのが新政権内部の対立であった。
新政権は北海道開拓に投じた官有の施設などを身内で極端に安く、払い下げようとして批判を浴びていた。参議の大隈重信らはこのような事態を憂い、英国型の立憲政治を主張して、プロイセン型の君主政治に傾く伊藤博文らと対立している。この権力闘争は大隈を政府から追放、そして明治23年には国会開設を行うとの方針で、事態を収めることになった(これが明治14年の政変である)。ここに至るまで、伊藤、山県らは大隈が民権運動の活動家と連携しているのではないかと疑心暗鬼になっている。その恐れが、国会開設などの方針を勅命という形で出さざるを得なかったのである。
こうした状況を丁寧に分析していくと、新政府の立場はいかに脆いものであったかが理解できる。天皇の助力を得ることで辛うじて政権の維持ができたのである。自由民権運動のその本質は、この期の自由党成立のプロセスの内部を解剖することにより、明らかになってくるが、自由党の指導部が大隈の立憲改進党との連携か否かの局面で分裂を起こしたことなど歴史の「不可視」の部分をより精緻に確認すべきなのであろう。(第9回に続く)
プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、「昭和史の大河を往く」シリーズなど著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。