「お気持ち案件」との揶揄も
そもそも、この手の議論は新しいようで古いものだ。1990~2000年代前半には、相手の「ホームページ」に無断でリンクを貼ることは、「ネチケット」(ネット上のエチケット)違反だといわれた。インターネットの仕組みからすればおかしな話だが、こうした「ルール」よりも、ホームページの所有者の意向こそが優先されるべき、という考えは根強く存在した。「リンクフリー」という言葉が和製英語であることからもわかる通り、この議論は特に日本で顕著だった。
「お気持ち案件」。ネットで最近、こんな言葉が流行りつつある。
法律やルール上は、確かに問題ないかもしれない。だが、こちらの「気持ち」はどうなるのか。「気持ち」は考えてくれないのか。「気持ち」の上ではいかがなものか――往々にして起きる、このような議論を表現したものだ。
「無断RT禁止」にしても、ツイッターのルールより「投稿者の気持ち」が大切だ、という主張だ。Buhitter騒動に対しても、この「お気持ち案件」という揶揄(やゆ)が相次いだ。
ネット上での炎上騒ぎでは、こうした「お気持ち案件」が少なくない。さらに言うなら、ネットに留まらず、「お気持ち案件」は社会にあふれている。豊洲への市場移転をめぐり繰り広げられた「安全か安心か」論争は記憶に新しい。
「無断RT禁止」。書き込み自体はネタだったが、図らずして「お気持ち案件」のややこしさを浮き彫りにした。