北朝鮮を観光で訪れていた日本人男性が2018年8月、当局に拘束された模様だ。詳しい経緯は不明だが、スパイの容疑をかけられた可能性も指摘されている。
仮に拘束が事実だとすれば、日本人旅行者の拘束は1999年12月以来、約19年ぶり。この時拘束された男性にはスパイ容疑がかけられ、帰国まで2年2か月かかった。一体、男性に何があったのか。
過去の訪朝で撮ったビデオを内調と公安に渡す
男性拘束の情報が報じられるようになったのは2018年8月11日頃。各メディアが日本政府関係者の話として報じた内容を総合すると、拘束されたのは三重県出身の39歳の映像クリエイターで、欧州系ツアー会社主催のツアーで北朝鮮入りしたとみられる。西部の南浦(ナムポ)で拘束されたとされる。南浦は軍港として知られ、スパイ容疑をかけられた可能性もある。
19年前に日本人旅行者が拘束された事案は、単なる「旅行者」の拘束とはかなり性質が違うもので、今回拘束されたとされる男性の「旅行」がどんなものだったのか解明が待たれそうだ。元日経新聞記者の杉嶋岑(すぎしま・たかし)氏は1999年12月、帰国直前の平壌で拘束され、帰国が実現したのは02年2月のことだった。杉嶋氏の著書『北朝鮮抑留記 わが闘争二年二ケ月』(草思社、11年)によると、拘束されたのは5回目の訪朝でのことだ。
北朝鮮側の調査官は拘束理由を
「内閣情報調査室と公安調査庁という日本国の情報機関に情報提供協力したからだ」
と説明したのに対して、杉嶋氏は、過去の訪朝で見聞きした内容を内調や公安調査庁(関東公安調査局)に話したことを認めつつも、
「軍事基地に潜入したわけでも秘密の場所に出入りしたわけでもない。対文協(対外文化連絡協会)の案内員に連れられて見学しただけで、その時に撮った写真やビデオを見せて請われるままに説明してあげたに過ぎない。あの程度でスパイと言うのなら旅行者の誰もがスパイということになりかねない」
と反論した。
北朝鮮調査官「要するに『やり過ぎ』です。我が国にとって危険です」
これに対して調査官は
「貴方は普通の旅行者コースを通っても分析力が高い。二、三度なら兎も角、これまで共和国に来る度に参加する訪朝団体が、その都度違う。それも今回で五度の訪朝になる。要するに『やり過ぎ』です。我が国にとって危険です」
と説明したという。
杉嶋氏は、この著書や「文芸春秋」02年5月号に寄せた手記の中で、(1)訪朝時に撮影したビデオテープなどを内調と公安に渡し、金銭を受け取った、(2)杉嶋氏が情報提供した内容が北朝鮮側に筒抜けになっていた、などと説明していた。
杉嶋氏以外にも、外国人が北朝鮮で拘束される際は「スパイ行為」が理由にされることが多い。18年5月には、ポンペオ国務長官の訪朝に合わせて韓国系米国人3人が解放された。3人は牧師のキム・ドンチョル氏、平壌科学技術大学の会計学教授キム・サンドク氏、同大学運営関係者のキム・ハクソン氏。キム・ドンチョル氏は15年にスパイ容疑で拘束され、16年に10年間の労働教化刑を言い渡された。裁判の過程で北朝鮮当局は記者会見を設定し、キム・ドンチョル氏が韓国政府と共謀して軍事機密を盗んだ、などと話した(韓国政府は否定)。キム・サンドク氏は17年5月にスパイ容疑で拘束され、その2週間後にはキム・ハクソン氏が「敵対行為」の疑いで拘束された。
16年1月には、平壌のホテルで政治スローガンが書かれた垂れ幕を盗もうとしたとして、米国人大学生のオットー・ワームビア氏が拘束された。17年6月に解放されたがすでに意識不明の状態で、帰国直後に死亡している。
18年8月13日17時時点で、北朝鮮の国営メディアは日本人男性の拘束について報じていない。