異例の長期在任で「歴代最強の金融庁長官」とも称せられた森信親氏(61)が2018年7月17日付で退任した。後任の長官には遠藤俊英氏(59)=1982年入省=が監督局長から昇格した。順当ともいえ、「森路線を継承」と多くのマスコミが報じる。
ただ、「森氏の意中の人は官邸に蹴られた」「遠藤氏は、ワンポイントリリーフで、周りは森さんのお気に入りが固めている」など、霞が関雀の憶測の声は尽きない。果たして、どんな人事だったのか。
地域金融機関に再編など対応要求
森氏は3期(3年)にわたって長官を務めた。金融庁発足以来、在任3年は五味廣文氏、畑中龍太郎氏と森氏しかいない。通常、官庁トップは1年で交代する霞が関にあっては異例だ。
その森氏は、大手を含む銀行を次々と破たんに追い込んだ厳格な検査・処分で金融界を押さえてきた金融行政を「育成」の方向に転換しようとしてきた。その集大成が今回の人事と同時に行われた組織改革とされる。検査局が担ってきた立ち入り検査と、監督局が行う日常の監督、指導を一体化して新「監督局」に統合。総務企画局を、金融行政の戦略立案を担う「総合政策局」と、市場機能の強化などを担当する「企画市場局」に分割する改編も併せて断行した。
もちろん、金融機関を「甘やかせる」というのとは、まったく反対に、厳しく臨んできた。銀行などの従来のビジネスモデルが行き詰ってきたことを受け、「生き残りのための改革」を迫り、特に経営悪化が著しい地域金融機関に対しては、再編も含めた対応を要求。ガバナンス(企業統治)改革にも力を入れ、金融機関の首脳人事に裏から口を出すコワモテぶりも発揮した。
森氏は安倍政権で官邸を牛耳る菅義偉官房長官の信頼厚く、年明けから春先にかけ、超異例の長官4期目へ続投説がささやかれたのも、「長官留任を菅氏が容認した」との情報が流れたことが背景にあった。さらに、古巣の財務省で福田淳一次官(当時)がセクハラで辞任に追い込まれると、その後任にも取りざたされた。さすがに、これは無理筋だったが、それだけ森氏に「勢い」があったのは確かだ。