「羅生門」や「七人の侍」などの黒沢明監督作品や、「砂の器」「八甲田山」「八つ墓村」など、空前のヒット映画のシナリオを書いた脚本家の橋本忍(はしもと・しのぶ)さんが2018年7月19日、死去した。100歳だった。各メディアが一斉に伝えた。
生涯に映画など90本近い脚本を執筆し、骨格のしっかりした構成とスリリングなストーリー展開で知られた。米国脚本家組合から表彰されるなど、国際的にも高い評価を受けた。戦後映画史に残る名作だけでなく、テレビでも「私は貝になりたい」など、いまだに語り継がれる伝説的ドラマを残した。
黒沢名作からビッグヒット作まで
1918年、兵庫県生まれ。鉄道教習所を経て徴兵されたが、結核で除隊。療養所で映画雑誌を見て、シナリオに興味を持つ。高名な脚本家・映画監督の伊丹万作に習作を送り、師事するようになった。
戦後、サラリーマン生活のかたわら書いた脚本が黒沢監督の目に留まり、黒沢が加筆修正して「羅生門」として映画化。ベネチア映画祭グランプリを受賞したことで、専業の脚本家になった。
その後も「生きる」「七人の侍」「蜘蛛巣城」「隠し砦の三悪人」など50年代の黒沢作品に共同脚本で深く関わった。このほか今井正監督の「真昼の暗黒」、野村芳太郎監督の「張込み」、小林正樹監督の「切腹」、山本薩夫監督の「白い巨頭」、岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」など、60年代にかけて日本映画の巨匠作品を次々と手がけ、「映画界最強の脚本家」と言われた。
70年代には森谷司郎監督の「日本沈没」「八甲田山」、野村監督の「砂の器」「八つ墓村」など立て続けにビッグヒットを飛ばし、興行面でも成果を上げた。創価学会がらみの「人間革命」「続人間革命」も担当した。
脚本家は「忍耐だけが頼りの仕事」
「張込み」「砂の器」など、松本清張の原作と特に縁が深かった。61年の「ゼロの焦点」では山田洋次さんが脚本助手として加わっている。山田さんは2014年、朝日新聞の取材に当時のことを振り返り、こう語っている。
「日本一のシナリオライターの橋本さんは楽々と脚本を書くのだろうと想像していたけど、実はのたうち回るように苦しみながら作り上げるのだということを教えられました。脚本が完成した日、僕が『脚本家は油まみれで働く労働者のようですね』と言ったら、橋本さんは『いや、お百姓に近いんじゃないか』と答えました。『種をまいて芽が出て、天気を気づかったり水の心配をしたりしながら作物の実りを待つ。そういう忍耐のいる、いや、忍耐だけが頼りの仕事だよ』と」。
「羅生門」「真昼の暗黒」でブルーリボン脚本賞、「生きる」「真昼の暗黒」「張込み」「鰯雲」「夜の鼓」「黒い画集」「いろはにほへと」「白い巨塔」で毎日映画コンクール脚本賞など多数の受賞歴がある。2013年には全米脚本家組合「ジャン・ルノワール」賞を受賞した。
テレビドラマでは「私は貝になりたい」のほか、刑事ドラマ「非情のライセンス」シリーズの一部にも関わった。
2000年には故郷の兵庫県市川町に「橋本忍記念館」ができた。晩年は闘病と療養が続いたが、08年には映画版「私は貝になりたい」で脚本のリメイク。著書に黒沢監督との関係を語った『複眼の映像 私と黒澤明』などがある。