佐藤栄作首相「新聞記者は出ていけ」発言の真相 浅利氏、「責任の半分は私に・・・」と明かしていた

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「徳をもって恨みに報いよう」

   1972年5月5日の夜、佐藤首相は浅利さんと二人だけの席でこう告げた。「私は近々退く。次の政権が北京と復交するとなれば、蒋介石も止むをえないことと思うだろう」。

   当時の事情を知る関係者によると、日本側も中国側も、複数のルートで関係改善を模索していた。佐藤氏の後継となった田中角栄内閣は、発足3か月後の72年9月29日、北京で日中国交正常化に調印した。

   浅利さんは、佐藤さんが語った蒋介石の言葉「以恩徳怨」をミュージカル「李香蘭」で使っている。中国人でありながら、日本の手先になり、祖国を裏切った容疑で軍事裁判に掛けられていた李香蘭は、最後に日本人だと判明して許される。そのクライマックスシーンで中国人裁判長が歌ったのが「以恩徳怨」の曲。「憎しみを憎しみで返すなら争いはいつまでも続く。徳をもって恨みに報いよう」という歌詞の大合唱がステージにこだまする。浅利さんはそこにおそらく、日中国交正常化を模索しつつも成功しなかった佐藤首相の思いや、佐藤氏がこだわった蒋介石への恩義の気持ちも込めたに違いない。

   浅利さんは後に中曽根首相のブレーンにもなり、中曽根氏は後年、中国との関係を密にする。「以恩徳怨」を主題としたミュージカル「李香蘭」は1992年の中国公演でも高く評価された。戦後政治、日中関係史にも深く関与していた希有な演劇人が浅利さんだった。

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