「義理固いなあ、泣ける」「つくづく思うのですが、人に良いことしたら回るんですよね...」――。
新潟県長岡市が2018年7月11日、西日本豪雨で被災した岡山県高梁市の支援に乗り出した。理由は両市を結ぶ幕末の「縁」だ。
新潟中越地震の経験を支援に活かす
広島県との県境にある高梁市は、記録的な豪雨で高梁川・成羽川が氾濫するなど大きな被害を受けた。報道によれば、9日には市内のコンビニで窃盗未遂も起き、いまだ混乱が続く。
そこで支援に動いた自治体があった。高梁市から直線距離で約550キロ離れた長岡市だ。同市は11日、市の職員や地元の防災団員ら4人からなる「官民ユニット」を派遣した。
長岡市危機管理防災本部の担当者は12日、J-CASTニュースの取材に「長岡市は2004年に水害と地震(新潟中越地震)に遭っており、その経験などを踏まえ支援していきたい」と話した。
先のユニットは先遣隊として13日まで派遣。現地の状況やニーズを把握したうえで、本隊を派遣する予定だという。
山田方谷と河井継之助が紡いだ縁
なぜ被災地が広範囲にわたる中で支援先に高梁市を選んだのか。理由は幕末にさかのぼる。
「河井継之助さんという長岡藩士が、当時の高梁市に住んでいた山田方谷さんに弟子入りしていたという歴史的な縁があることもあり、両市長とのやりとりの上で派遣が決まりました」(先述の担当者)
両市は、現在でも歴史に関する講演会や資料提供などで頻繁に交流するなど、関係を密にしていた。
高梁市が先遣隊を派遣した報道が流れると、ツイッターでは「義理固いなあ、泣ける」「つくづく思うのですが、人に良いことしたら回るんですよね...」と感銘を受ける声や、
「長岡藩にとっては河井継之助さんはすごく大きな存在ですので。やっぱりどんなに時間が経っても頂いたご恩とご縁を忘れずにいたいです」
と長岡市の姿勢に共鳴する声が少なくなかった。
※山田方谷(やまだほうこく、1805~1877年)
江戸末期の陽明学者。幕末に同藩の財政再建を断行し、窮乏にあえぐ備中松山藩の財政を再建。10万両(約300億円)あった借金を10万両の蓄財に変えた。18年1月には、山田方谷を題材にした大河ドラマの製作を求め、岡山県や高梁市らがNHKに要望書を提出した。
※河井継之助(かわいつぎのすけ、1827~1868年)
江戸末期の長岡藩士。山田方谷に半年間師事し、藩政改革の基礎を学ぶ。その後、長岡藩主牧野忠恭に引きあげられ、財政や教育、兵制改革を実施。家老上席に上りつめ、藩政改革に尽力した。戊辰戦争で、新政府軍を相手に奮戦し死去。司馬遼太郎の歴史小説『峠』の主人公としても知られる。