サッカーのワールドカップ(W杯)を見ていて面白いことに気がついた。
日本チームの場合、ゴールを決めた選手が、控え選手のいるベンチに向かって走ることが多いのだが、これは万国共通のパフォーマンスではないらしい。
決勝トーナメントのベルギー戦の後半早々、1点目をたたき出した原口元気は、大きな口を開けて喜びを爆発させながら向かった先は、控え選手が集うエリアだった。
そこには控えに回った本田圭佑や、J1リーグ時代に原口の教育係を仰せつかったという槙野智章らが両手を広げて迎えている。その輪に、ジャンプしながら飛び込んだ。
決勝T12試合でベンチ駆け込みはフランスの1回のみ
強烈なミドルシュートで2点目を挙げた乾貴士も同様だ。1本の指を立てながら、控え選手たちに駆け寄り抱き合った。今大会で日本が挙げた6点のうち、控え選手の輪に飛び込んでいったケースは4回にのぼる。
決勝トーナメントに進んだ16チームの録画を見直してみた。ゴールした選手がコーナーフラッグ近くで出場選手だけで抱き合うか、雄叫びを上げながらゴール裏の観客席に駆け上がっていく選手もいる。コーナー付近で抱き合う選手の輪に控え選手が加わることはあっても、自らベンチに向かって走る選手は意外なほど少ない。
1回戦8試合と準々決勝4試合の計12試合で生まれたゴールは、日本を除いて33点あるが、このうちはっきりと控え選手に走り寄ったことが映像で確認できたのは、フランスの1回だけだった。
どうやら、これは日本チームだけの特徴なのかもしれない。
私も学生時代には体育会だったのでわかるのだが、控え、いわゆる補欠選手の複雑な胸中を察すると、勝利の喜びを共有するのは簡単なことではない。
今大会では、過去のW杯で司令塔として活躍し、3得点をたたき出したチームの要である本田が控えに回った。4年前のブラジルW杯で予選敗退の屈辱を胸にロシア大会に臨みながら、一度はハリルホジッチ前監督によって戦力外を突きつけられた。大会直前に交代した西野朗監督によって名誉挽回の機会を与えられながら先発メンバーに選ばれなかったことで、心のなかで大きな葛藤が渦巻いたに違いない。
「控えに不満」は不思議ではない
槙野は逆に、ハリルホジッチ前監督のもとではディフェンスの一角に定着しながら、W杯では昌子源に取って代わられた。控えに甘んじている境遇に不満を持ったとしても不思議はない。
それでも、得点を挙げた選手が本田や槙野、岡崎慎司らがいる控え選手の輪に飛び込んでいったのは、なぜか。
ムードメーカーを担った槙野が、ゴール後にはベンチで喜びを分かち合おうと促したこともあるが、遠因を知る上で欠かせないエピソードの一端が、6月26日付の「サッカーダイジェストWeb」に掲載されていた。
グループリーグ第2戦のセネガル戦を終えた翌日、控えの宇佐美貴史が、試合中のベンチの様子を語っている。
「サブの選手も声を出している。"苦しい時にベンチを見ろ!"という声や"全員で戦っているぞ!"という声も頻繁に起きている。(中略)いろんな感情を押し殺してチームのためにしないといけないのは全員が分かっている」
ゴールキーパーの控えである東口順昭も、心の葛藤を乗り越えて雰囲気作りに腐心した様子を語っている。
「もっと自分が出たいと思っていたし、それを出す選手もいた。今はそれよりもチームが勝つために、鼓舞する。それがベンチで出来ているから途中から入ってもスンナリできているんだと思う。雰囲気作りはマキ(槙野)が積極的に"声を出していこう"と話している。そういうのをキッカケに一体になっている」
本田「人のゴールがこれだけうれしいのはなかった」
そして、記事には本田に触れた部分がある。乾が明かしている。
「前半の最初は(左サイドを)使えていなかった。(中略)それでベンチから(本田)圭佑くんとか槙野くんが"左サイドをもっと使えるぞ"と言ってくれた。それで皆が使ってくれるようになった」
この本田らのアドバイスが生きてくる。0―1でリードされた前半34分、柴崎岳からのロングパスを受けた左サイドの長友佑都からのパスを、乾がワンタッチで振り抜き同点に追いついた。乾が控え陣に走り寄って抱き合ったのには、そういった伏線があったのだ。
その本田、セネガル戦後のインタビューで、こんな台詞を吐いている。
「サッカー人生でこれだけサブ(控え)に対して前向きに考えられたなんていうのはなかった」「人のゴールがサブでもこれだけうれしいのは、これまでなかったというのは間違いないですね」
プライドの高い男が、自身を「サブ」と呼び、その役割を言葉にして語る心境に達するには、紆余曲折があったはずだ。
日本のベンチでは、こうした悔しさを押し殺してチームに尽くしている選手たちが見守っている。ピッチでは気の抜けたプレーはできないし、ブラジルW杯での借りを返しに来た「おっさん」の思いも背負っている。だから、ゴールを挙げたときは喜びを分かち合うことは、日本チームにとって至極当然のことだったのだ。
そういった環境を作り上げる采配を振ったのが、西野監督だった。
ハリルホジッチ前監督の時はトップダウンだった戦術が、西野監督になってからは、監督と選手、そして選手同士のコミュニケーションが増えたと言われている。ハリルホジッチ采配がダメだというより、西野監督が選手の士気を高める人心掌握術を持ち合わせていたということではないだろうか。ミスが続いたゴールキーパー(GK)の川島永嗣を、あえて試合前日の記者会見に同席させたことも、そのひとつだ。
南アの時もチーム内に一体感
控え組が存在感を増したチームといえば、8年前の南アフリカW杯を思い出す。
メンバーに30歳以上の選手が7人もいることや、W杯の前哨戦で戦績が悪かったことから、「予選敗退は確実」などと揶揄されていたことは、今大会に臨む西野ジャパンと酷似している。
そこで当時の岡田武史監督は決断する。日本チームの司令塔だった中村俊輔を控えに回し、GKの楢崎正剛を川島に代えただけでなく、怪我で半年間もプレーしていなかった同じくGKの川口能活を主将としてメンバー入りさせた。理想を掲げながらも、目の前の敵に勝つための現実を重視した決断だったといわれている。
その結果、カメルーンやオランダから勝ち星をあげて予選を突破。決勝トーナメントでは、初戦のパラグアイ戦で0―0のままPK戦にもつれ込み、惜敗した。
このときも、楢崎は川島にアドバイスを授け、中村も出場選手に相手の癖を伝えるなどチーム内では一体感が生まれていた。そして、今回と同じように、ゴールを果たした選手の多くがベンチに向けて走った。
精神論だけでW杯を勝ち抜けるとは思わないが、個の力ではかなわない相手に対し、ベテランの知識や経験、台頭著しい若手の技、そしてベンチの思いが重なったときに生まれる一体感は、時に実力以上のものを引き出す。
日本チームが帰国した直後の記者会見で、大会後に選手たちに何を語ったかを問われた西野監督は、「倒れ込んで背中に感じた芝生の感触、見上げた空の色や感じ、それは忘れるな」と述べた後、こう付け加えた。
「ベンチに座っていた選手の、あの居心地の悪いお尻の下の感触を忘れるな」
敗れたことだけでなく、ピッチに立てなかった屈辱を忘れずに4年後を目指して体と技術を磨け。
そんなことを伝えたかったのではないだろうか。
(ノンフィクション作家・辰濃哲郎)