法務省は2018年7月6日、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(63)らオウム真理教元幹部の死刑を執行した。1995年3月の地下鉄サリン事件をはじめとするオウム真理教をめぐる一連の事件では29人が死亡し、6500人が被害に遭った。
松本死刑囚の死刑は2006年に確定し、一連のオウム裁判も18年1月に終結。死刑囚が事件に関する証言を求められることもなくなり、執行の時期が焦点になっていた。
衆院選落選で「テロ集団化」加速
松本死刑囚は熊本県で育ち、鍼灸(しんきゅう)師の資格を取得後、上京。 1984年にヨガ・サークル「オウム神仙の会」を設立し、87年に「オウム真理教」に改称。「ハルマゲドン」と呼ばれる最終戦争が迫っているなどと恐怖を煽って信者の獲得を進め、95年には1万人を超えた。
90年の衆院選に松本死刑囚を含む教団幹部が出馬したが、全員が落選。これを気に「テロ集団」化を加速させた。化学兵器や自動小銃の製造を企て、山梨県の旧上九一色村に猛毒神経ガスのサリンを生成するプラントを建設。94年6月に8人が死亡した松本サリン、95年3月に12人が死亡し、6000人以上が被害を受けた地下鉄サリン事件を起こした。
松本死刑囚は95年5月、教団施設内の隠し部屋に潜んでいるところを逮捕され、松本・地下鉄の両サリン事件、目黒公証役場事務長拉致監禁致死事件、坂本弁護士一家殺害事件など13の事件で殺人などの罪に問われた。
執行の時期が焦点になっていた
96年4月の初公判では、「自分は一切指示していない」などと、松本死刑囚の指示を受けたとする井上嘉浩死刑囚ら多くの弟子と見解が対立し、意味不明な発言を連発。2004年2月に1審で死刑判決が出たが、2審では弁護団が控訴趣意書を期限内に提出せず、06年3月に東京高裁が控訴棄却(裁判打ち切り)を決定。同じ9月には最高裁が特別抗告を棄却し、松本死刑囚の死刑が確定した。
ここでオウム裁判は大きな節目を迎えたが、12年6月に最後まで逃走を続けていた高橋克也被告(60)が逮捕され、14年1月に裁判が再開。最高裁は18年1月に高橋被告の上告棄却を決定し、無期懲役とした1、2審判決が確定。一連の裁判は全て集結していた。
松本死刑囚を含めてオウム事件で死刑が確定していたのは13人。18年3月には13人のうち7人が東京拘置所から全国の拘置所などに移送され、複数の施設でいっせいに死刑が執行されるとの見方が強まっていた。