原口元気、「元教育係」槙野智章との絆 「この人とW杯行けてよかった」

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   ベルギーに敗れてロシア・ワールドカップ(W杯)の幕を閉じたサッカー日本代表の原口元気(27・ハノーファー=ドイツ)が、浦和レッズ時代の先輩・槙野智章(31)と共に戦えたことをツイッターで感謝した。

   原口がベルギー戦で先制ゴールを決めた時、一直線に駆け寄った相手は槙野だった。浦和時代は原口の「教育係」。2人は特別な関係にある。

  • サッカー日本代表の槙野智章(左)と原口元気
    サッカー日本代表の槙野智章(左)と原口元気
  • サッカー日本代表の槙野智章(左)と原口元気

「どんな時もポジティブでみんなを元気にできる人」

   2018年7月3日のW杯決勝トーナメント1回戦・ベルギー戦の後半3分、柴崎岳のスルーパスに抜け出した原口が、ゴール左隅にシュートを突き刺した。すかさずベンチに向かって走り出し、押し倒さんばかりの勢いで飛びついた相手は、手を広げて笑顔で待っていた槙野だった。

   その後、2-3の逆転負けを喫し、ロシアを去った日本代表。原口は帰国の途についた5日にツイッターを更新し、

「この人とW杯に行けてよかった。どんな時もポジティブでみんなを元気にできる人」

とだけつづった。帰路の合間に撮ったのだろう、槙野との2ショットを投稿している。

   投稿写真はもう1枚ある。浦和レッズ時代の試合中のもので、原口と槙野が肩を組んでいる。槙野は「浦和→ドイツ=ロシアW杯 バイバイ泣き虫ゲンキ!! 元気!!」と書かれたインナーシャツを着ている。

   14年6月、原口がヘルタ・ベルリン(ドイツ)に移籍する前、浦和でのラストマッチとなった名古屋グランパス戦。原口の直接FKが、GK楢崎正剛に弾かれると、ゴールに押し込んだのは槙野だった。喜びのあまりユニフォームを脱ぐと、槙野のインナーに書かれていたのは「浦和→ドイツ=ロシアW杯 ~」の文字。すぐに原口が近寄って肩を組むと、槙野は自慢げにインナーを見せ、がっちり抱き合った。原口が今回ツイッターにあげた写真はこの時のものだ。

   ケルン(ドイツ)から12年に浦和に加入した槙野は、当時20歳だった原口の教育係に指名された。11年末の練習後、原口がチームメイトの岡本拓也といさかいを起こし、ケガを負わせる問題が起きた。以前から気の荒さに手を焼いていた原口の教育を、気さくで明るい槙野が任された格好だ。約2年半、プレーを共にした。

「礼儀やあいさつなどはビックリするくらいできなかった」

   原口が渡独した後の16年、浦和がルヴァン杯(Jリーグ杯)で優勝した。この時、原口から電話やメールで「おめでとう」と連絡が来て、槙野は「成長したな!」と感じたという。16年10月18日のインスタグラムで明かしている。

   原口は浦和に豪華なお祝いの花束も贈っていた。槙野は同じ投稿で、「ここまで出来るようになったとは、教育係として本当に嬉しいよ!」と喜びながら、かつてを振り返った。「俺が2012年に浦和に来て原口元気というヤンチャな選手の教育係になった。サッカー選手としては最高の選手だった。しかし、礼儀やあいさつなどはビックリするくらいできなかった」

   だが、「そんな男が時間を重ねるとたくましく、強く変わっていった。人前でスピーチをし、結婚もし、人にありがとうも言えるようになり、エレベーターの開くボタンも押せるようになり、先輩のご飯にも『ご馳走様になりました』まで言えるようになった」といい、「本当に嬉しかった」と感慨深くつづっている。

   投稿当時、原口は日本代表として、ロシアW杯最終予選で3戦連続ゴール中(次戦で4戦連続になる)。槙野は投稿の中で、「今は日本を代表する選手までになった。泣き虫元気が、ここまで大きくなった」と成長を噛みしめた。

   そして18年、2人はW杯日本代表として戦った。原口の、短くも万感の思いが込められたようなツイッターの言葉には、

「この画像が叶うとは本当凄いです!」
「ゴール後の元気選手と槙野選手の抱擁に感涙 まるで自分のことのように喜んでましたね!仲間っていいなって思えた瞬間だった」
「元気君が凄いゴール決めた時槙野が抱きついて浦和人としては感動の涙でした!悔しかったけど良い試合でした。ありがとう」
「ゴール決まった時、真っ先に槙野選手に向かって行ってとても嬉しかったです。いい表情でした。ゆっくり休んでください」

といったメッセージが続々と寄せられている。

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