「礼儀やあいさつなどはビックリするくらいできなかった」
原口が渡独した後の16年、浦和がルヴァン杯(Jリーグ杯)で優勝した。この時、原口から電話やメールで「おめでとう」と連絡が来て、槙野は「成長したな!」と感じたという。16年10月18日のインスタグラムで明かしている。
原口は浦和に豪華なお祝いの花束も贈っていた。槙野は同じ投稿で、「ここまで出来るようになったとは、教育係として本当に嬉しいよ!」と喜びながら、かつてを振り返った。「俺が2012年に浦和に来て原口元気というヤンチャな選手の教育係になった。サッカー選手としては最高の選手だった。しかし、礼儀やあいさつなどはビックリするくらいできなかった」
だが、「そんな男が時間を重ねるとたくましく、強く変わっていった。人前でスピーチをし、結婚もし、人にありがとうも言えるようになり、エレベーターの開くボタンも押せるようになり、先輩のご飯にも『ご馳走様になりました』まで言えるようになった」といい、「本当に嬉しかった」と感慨深くつづっている。
投稿当時、原口は日本代表として、ロシアW杯最終予選で3戦連続ゴール中(次戦で4戦連続になる)。槙野は投稿の中で、「今は日本を代表する選手までになった。泣き虫元気が、ここまで大きくなった」と成長を噛みしめた。
そして18年、2人はW杯日本代表として戦った。原口の、短くも万感の思いが込められたようなツイッターの言葉には、
「この画像が叶うとは本当凄いです!」
「ゴール後の元気選手と槙野選手の抱擁に感涙 まるで自分のことのように喜んでましたね!仲間っていいなって思えた瞬間だった」
「元気君が凄いゴール決めた時槙野が抱きついて浦和人としては感動の涙でした!悔しかったけど良い試合でした。ありがとう」
「ゴール決まった時、真っ先に槙野選手に向かって行ってとても嬉しかったです。いい表情でした。ゆっくり休んでください」
といったメッセージが続々と寄せられている。