元サッカー日本代表の武田修宏氏が、ロシア・ワールドカップ(W杯)ポーランド戦で日本代表が選んだ「時間稼ぎ」について、「ありだと思う」と理解を示した。
武田氏は、W杯初出場に手をかけながら掴めなかった「ドーハの悲劇」の当事者。その人物の見解とあって、インターネット上では「重みあるな」といった反応が相次いだ。
「攻めて、やられて、結局W杯に出られなかった」
武田氏は2018年6月30日放送の「ウェークアップ!ぷらす」(日本テレビ系)にゲスト出演し、28日のW杯グループリーグ(GL)第3戦・ポーランド戦を振り返った。
日本は後半に先制点を許したが、その後間もなく、同時刻開催のもう1試合でコロンビアがセネガルから先制。このまま両試合0-1で終われば、日本はイエローカード・レッドカード数に応じてつくフェアプレーポイントの差で決勝トーナメントに進出できるため、戦術を一変。負けているのにゆっくりとパス回しをして時間を稼ぎ、狙い通りの結果でGL突破を果たした。
もしもセネガルがコロンビアに追いつけば日本は3位に転落していたため、リスクのある他力本願の作戦だった。一方で、日本は引き分け以上に持ち込めば自力突破できたため、終盤攻撃しないことには賛否両論が噴出した。
日本の作戦に、武田氏は番組で「僕はありだと思う」と理解を示した。「プロは結果がすべて。GL突破が目標だから、攻めたら失点の可能性も、イエローカードのリスクも上がる」とした上で、
「93年の僕らの『ドーハの悲劇』では、2-1で勝っていて、攻めて、やられて、結局W杯に出られなかった。そういうことが起きる。これ(ポーランド戦の時間稼ぎ)も戦術のひとつ。突破するためには仕方がない」
と、自身の経験と照らし合わせた。
93年10月、カタール・ドーハで行われたアメリカW杯最終予選で、日本はイラクと対戦。1点差でリードしながら、後半終了間際に逆襲をくらって同点弾を許した。片手をかけていたW杯初出場への切符が、するりと手元から抜け落ちた。日本サッカー史上に残る「ドーハの悲劇」だ。
当時、日本はリードした後も攻め続けていた。時間を稼がず、クロスボールをあげ、その後のこぼれ球からイラクがカウンター。悲劇の同点弾につながった。このクロスを上げた選手こそが、武田氏である。