中国では2018年5月下旬以来、地方債に関する話題が一気に盛り上がり、社会不安を醸成している。
きっかけは5月19日に北京で開催されたフォーラムで、全国人民代表大会(全人代)財経委員会の賀鏗副主任委員が地方政府の債務状況に言及し、中国の地方債は40兆元にまで膨れ上がっており、調査によれば、「それを返済する意思のある地方政府は一つもない」と語り、多くの政府が利息さえも払えない状況に陥っていることを明らかにしたからだ。この発言がマスコミによって伝えられると、議論が沸騰した。
教師や公務員の給料遅配が続出
これに関連して同じごろ、刺激的な二つの事件が起こった。
一つは5月27日午前、安徽省六安市で学校の教師グループが市政府ビルに押しかけ、横断幕を掲げて遅配給与の支払いを要求したのだ。これには警察が出動して教師グループと衝突し、その模様がSNSでネット上に流出したことから、短期間のうちにネット上で炎上した。
二つ目は6月1日、湖南省耒陽(れいよう)市の公務員を自称するネットユーザーが同省最大の情報サイトに投稿し、5月分の給与が遅配で、6月分も支払われるかどうか分からない、と訴えた。これを受けたメディアがさっそく取材したところ、公務員に対する給与の遅配があることは事実で、その原因が財政難にあることを耒陽市政府は認めた。この投稿をきかっけとして、議論がふたたび再燃した。
そして、『財新周刊』は6月18日付けの社説で、「最近、一部の地方で公務員の遅配給与に対する支払い要求事件が発生して注目を集めている。各地方政府における給与遅配の原因はさまざまだが、多くの事案には共通の背景がある。それは地方債務のリスクが高まり、それが原因で一部の地方政府が財政再建を迫られていることだ」と伝えた。
地方債の規模は誰にも分からない
2018年初に、財政部が発表した「2017年12月地方政府の債券発行と債務残高状況」によれば、17年末現在、全国の地方政府の債務残高は16.47兆元で、この金額は全人代が許容する制限枠内に収まっている。しかし、賀鏗が明らかにした数字は40兆元で、これら二つの数字の間には23.53兆元の開きがある。それは17年1年間における福建省7個分のGDPに匹敵する。誰の言葉を信じたら良いのか。
前出の『財新周刊』の社説は、「中国政府には可視化できる債務は多くないが、見えない債務がいったいどれほどの額になるのか、誰もその実数を知らず、各種予測数字の開きは膨大な額に上る」と指摘している。
中国のトップ層が地方債問題を重視していないというわけではない。中国共産党第19回全国代表大会では「金融システム・リスクを起こさせないギリギリの線を守れ」と強調され、李克強首相の政府活動報告が「三大攻防戦」とは「重大リスクの回避」を第一位におくことだと述べたのは、国家のトップ層が地方債の危機を十分に認識していることを説明している。
中国共産党がもっとも恐れるのは、債務危機が経済危機に転化し、それがさらに社会的な危機にまで発展することだ。そしていま、安徽省六安市や湖南省の耒陽市ではすでに社会危機の兆しが現れはじめている。国のトップ層が慌ててもおかしくない。
中央政府は救済に乗り出すか、二重苦の現実
中国人が信じているのは、何か問題が出れば、「皇帝や中央、国が助けてくれないはずがない」ということである。地方にお金がなく、教師や公務員の給与遅配の問題が出れば、最後は中央が必ずお金を出して助けてくれるに違いないと信じているのだ。
この結果、中国のトップ層は二つの困難に直面している。地方債の危機が社会的な危機にまで発展しそうな勢いになったとき、中央の財政当局は果たして救済に動くのか。救済しなければ、危機が蔓延して政治危機に発展する恐れがある。救済すれば、起債を止めない地方政府に「焦げつけば、最後は中央が助けてくれる」という間違ったメッセージを送ってしまうことになる。このジレンマだ。
『財新周刊』の社説のタイトルは「地方債の尻拭いをしないことを堅持する」、すなわち救済すべきではないとしている。
しかし、今回の給与遅配が招いた集団行動のような地方政府に対する不満を抱いている地域はまだ少なく、それぞれがばらばらであるため、中国では未だ大きな広がりとはなっていない。こうした事態が全国に蔓延したとき、中央政府は果たしてこれまでの立場を守ってゆけるのだろうか。
(在北京ジャーナリスト 陳言)