補助金による追い風はいつまで続くのか
CATLが設立された2011年に、全中国における新エネルギー自動車の販売量はわずか8000台ほどだったが、2014年には7万5000台まで上昇した。そして2015年にはLG、サムスン、パナソニックなどの日韓企業が機会をとらえて、完成された電池技術を携えて中国市場に進出してきた。
国内の自主ブランドの電池の工場出荷価格は一般的に2.5-3元/whだったのに対し、上記の日韓企業の価格は1元/whだった。赤字を計上してでも出荷することによって、速やかに奇瑞(チェリー)や吉利、長安、上海汽車などの主要な自動車メーカーからの注文を勝ち取った。これでは長続きはしない。2016年に国家工業・情報化部が発表した自動車電池企業の「ホワイトリスト」から上記の日韓企業は外れ、補助金の対象外になった。この時から、中国国内の自動車メーカーはすぐに政策の方向性を理解して日韓企業との取引を終了した。
この時からCATLの一人勝ちの千載一遇の機会がやってきた。
CATLのキーパーソンで創業者である曾毓群氏や黄世霖氏などは、同社を立ち上げる前は日本との合弁企業に長年勤めていたが、その企業は携帯電話バッテリーの売り上げで世界のトップだったとのことだ。
「2010年ぐらいに、曾氏と黄氏は一団を引き連れてATLを去り、寧徳時代を設立した。同社の略称はCATLだ。CATLの登録資本の面は完全に中国化されており、民族のスマート製造ブランドになった。それが国による国内電池メーカーの発展を支持する政策に合致した」
と動力電池の研究に詳しい研究者が中国メディアに打ち明けている。
日韓の電池企業の電池が中国国内で道をさえぎられている間に、国家政策という塁壁の下でCATLは他者をリードする立場になり、瞬く間に販売量で世界トップの自動車用電池企業に成り上がった。