「ぼくたちの失敗」の大ヒットで知られるシンガーソングライター、森田童子(もりた・どうじ、本名不明)さんが2018年4月24日に亡くなっていたことが分かった。66歳だった。6月12日、各紙が報じた。日刊スポーツなどによると、日本音楽著作権協会(JASRAC)の会報に、訃報が掲載された。死因は明らかにされていない。
「高校教師」でブレイク
森田さんは1952年生まれ。友人の死をきっかけに歌い始めたといわれ、75年に「さよならぼくのともだち」でデビュー。全国各地の小さなライブハウスやテント公演などで歌い、学生層など若い世代を中心に、一部で熱狂的な人気を誇った。つぶやくようなトークや透明感のある声が特徴だった。しかし83年、新宿ロフト公演を最後に、時代に背を向けるかのようにひっそりと音楽活動を閉じた。
再びスポットが当たったのは93年、テレビドラマ「高校教師」に作品が使われたのがきっかけ。再発売されたシングル「ぼくたちの失敗」は100万枚に迫るビッグヒットになり、アルバムも再リリースされるなどブレイクした。
森田さんは「夢」や「希望」ではなく、徹底して「絶望」「憂鬱」「不幸」「孤独」を歌った。それが青春に躓いて、時代に取り残され、挫折感を味わうファン層に熱く支持された。
「みんな夢でした」「君と淋しい風になる」「たとえばぼくが死んだら」など暗い曲がほとんどで「淋しい」がキーワード。女性だが、「ぼく」と称し、歌の中では太宰治や高橋和巳なども登場した。「安全カミソリがやさしくぼくの手首を走る」などという歌詞もあった。メジャーになることを目的とせず、カーリーヘアとサングラスがトレードマークで素顔や生い立ち、近況などのプライバシーは謎のままだった。
りりィや藤圭子、カルメン・マキ・・・
森田さんは「高校教師」で脚光を浴びた後も沈黙を続け、マスコミの前には現れなかった。最近では2010年5月、朝日新聞の「うたの旅人」欄で、「ぼくたちの失敗」を担当した保科龍朗記者が、仲介者をたぐって接触を試みたが、「とても親しかった人との唐突な死別とみずからの病で『手紙すら書けないほど憔悴している』」という返答だった。
ただ、依然として一部でカリスマ的な人気があり、16年は最新技術によるリマスターのアルバム全集が発売され、「全曲集」の楽譜も出版された。長年、ジャケット写真しかない歌手といわれていたが、3年ほど前、誰かがネットで大昔のライブの「お宝動画」や、ラジオにゲスト出演したときの貴重なトークを公開し、「森田童子が動いている」「生の声を初めて聴いた」と驚きが広がった。
レコーディングには石川鷹彦さん、木田高介さんら一流アーティストが参加、「さよなら ぼくのともだち」は大森一樹監督の「オレンジロード急行」の挿入歌になり、「高校教師」では脚本家の野島伸司さんが、森田さんの曲にこだわるなど、プロの制作者の側からも高く評価されたシンガーソングライターだった。
早生まれなどの違いはあるが、同学年に「私は泣いています」のりりィ(1952~2016)さん、「圭子の夢は夜ひらく」の藤圭子(1951~2013)さん、「時には母のない子のように」のカルメン・マキ(1951~)さんがいる。アングラ、演歌、フォークなど活動の場は違っていたが、謎めいた半生を背負った個性的な声の女性歌手が輩出した世代だった。