りりィや藤圭子、カルメン・マキ・・・
森田さんは「高校教師」で脚光を浴びた後も沈黙を続け、マスコミの前には現れなかった。最近では2010年5月、朝日新聞の「うたの旅人」欄で、「ぼくたちの失敗」を担当した保科龍朗記者が、仲介者をたぐって接触を試みたが、「とても親しかった人との唐突な死別とみずからの病で『手紙すら書けないほど憔悴している』」という返答だった。
ただ、依然として一部でカリスマ的な人気があり、16年は最新技術によるリマスターのアルバム全集が発売され、「全曲集」の楽譜も出版された。長年、ジャケット写真しかない歌手といわれていたが、3年ほど前、誰かがネットで大昔のライブの「お宝動画」や、ラジオにゲスト出演したときの貴重なトークを公開し、「森田童子が動いている」「生の声を初めて聴いた」と驚きが広がった。
レコーディングには石川鷹彦さん、木田高介さんら一流アーティストが参加、「さよなら ぼくのともだち」は大森一樹監督の「オレンジロード急行」の挿入歌になり、「高校教師」では脚本家の野島伸司さんが、森田さんの曲にこだわるなど、プロの制作者の側からも高く評価されたシンガーソングライターだった。
早生まれなどの違いはあるが、同学年に「私は泣いています」のりりィ(1952~2016)さん、「圭子の夢は夜ひらく」の藤圭子(1951~2013)さん、「時には母のない子のように」のカルメン・マキ(1951~)さんがいる。アングラ、演歌、フォークなど活動の場は違っていたが、謎めいた半生を背負った個性的な声の女性歌手が輩出した世代だった。