保阪正康の「不可視の視点」 
明治維新150年でふり返る近代日本(4) 
帝国主義的「国家像」と「国民像」(その2)

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帝国主義国家には「良質の国民性」が邪魔になる

   このような日本人の性格には、むろん近代という視点(つまり明治維新後の国家像という枠組みのもとでは)から見れば、プラスとマイナスを抱えこんでいるといっていいであろう。16世紀からの世界史では、先進帝国主義国により弱小国は、収奪・抑圧・暴力などの対象となった。日本はその埒外にいることによって、このような加害国・被害国の図式とは一線を引く国家であった。そこで生まれた日本人の性格は、人類史の上ではきわめて先見性をもっていたことになることがわかってくる。

   ところが後発の帝国主義国家として、国際社会に出ていくことになった日本は、こうした良質の国民性(道理に従う、礼儀正しい、名誉心を尊ぶなど)は、むしろ邪魔になる。逆に上下の身分差を容認し、個人より集団主義を尊ぶといった性格は、帝国主義国民像としてもっとも強調され、美徳となったのではないか。この歪みを私たちは今、冷静に見ていくことで明治維新150年という尺度の功罪を論じられるのではないかと思う。

   私はこの国民的性格をもとに、他の三つの国家像を考えていくべきだと思う。そこには歴史を舞台にしての知的想像力を試すという意味も含まれる。(この項終わり。第5回に続く)

プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、「昭和史の大河を往く」シリーズなど著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。

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