教育、暴力、監視の「三つの枠組」
こうした五つの国民的性格は、帝国主義の後発国としてもっとも望ましいとされることになった。しかし幕末に至るまでの農民一揆、蘭学者たちの国際的視野、そして明治に入っての民権の発想と行動は、こうした国民像とは相入れない。そこで新政府は、教育(国家主義的教育内容)と暴力(反政府分子を取り締まる治安立法など)、そして監視(国民相互を監視させる。町内会、青年会などがそうであろう)の三つの枠組をつくって、帝国主義的国家の国民像をつくりあげていくことになった。
これは明治20年代から強まっていくことになるのだが、明治13年に太政官布告としてだされた集会条例のように暴力としての弾圧装置は早い時期から実施されている。逆に明治37年の第一次国定教科書により、教育などは大日本帝国の憲法発布からしばらく時間を置いて行われたケースもある。
しかし明治維新150年をふり返るとき、この帝国主義的国家の人間像は、しだいに軍事に利用されていき、そして昭和のファナティックなファシズムの折には、社会的病理的現象まで生むことになった。昭和10年代の太平洋戦争時の兵士たちへの死の強制や一切の「近代」を拒否しての呪術的戦争プロパガンダは、帝国主義的国家の国民像の辿りついた地点であった。特攻作戦の背景に見え隠れしている陸海軍指導部の戦争観は、帝国主義戦争の悪しき思想の実践として強要された。むろん個々の特攻隊員に対して、私はこの国の国民的性格の忠実な実践者としての側面があるから、指導部への批判とは別の見方をしているので、軽々な責め方はしない。
帝国主義的国家の選択、そこで理想とされる国民像(前述の五条件を指すわけだが)、これは本来の日本人の国民的性格とはまったくかけはなれていた――それを私は、明治150年のいま、明確にしてゆかなければならないと思う。(第4回に続く)
プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、「昭和史の大河を往く」シリーズなど著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。