社会学者の日高六郎さんが2018年6月7日、老衰のため亡くなった。101歳だった。
安保闘争など市民運動をリードした人物としてしばしば語られるが、東京大学で教鞭をとった当時は少し違う人物像ものぞかせている。頭脳明晰でありつつ物腰柔らかな人柄は人気を集め、講義には女子学生の受講者も多かったという。
『自由からの逃走』の訳書は124版
中国・青島で1917年に生まれた。この年の和暦は名前と同じ「六」がつく大正6年。東京帝国大学文学部社会学科を卒業し、戦後の49年に東京大学新聞研究所助教授、60年に同大教授となる。
アラフォー時代の日高さんの教え子男性によれば、そのイメージは「カッコいい学者」。頭は切れるが物腰は柔らかく、威張らない。人気の先生で女子学生の受講者も多かった。
東大全共闘の紛争で機動隊が導入されたことに抗議し、69年に教授を辞職。70年代に夫婦でフランス・パリに移住すると、自宅には色々な人が訪問した。60年安保闘争やベトナム反戦における市民運動をリードしていたことなどから、日高邸宅は赤軍派のアジトではないかと疑われた。警察に取り調べられたこともあるが、結局疑いは晴れた。邸宅は、文化人サロンのような場所だったのである。
市民運動といっても言論活動が中心で、ジャーナリズム性を帯びていたことで知られる。多くの著書・共著・訳書を手がけており、中でも有名なのは、ドイツの精神分析学者エーリッヒ・フロムが著した『自由からの逃走』の訳書だろう。ナチス・ドイツが台頭した要因を、社会心理学的側面も含めて多角的に分析しており、ファシズムを支持し、自由を放棄した人民の心理を鋭くえぐり出した。
原著は1941年に発表され、日高さんの訳書は1951年に東京創元社から発刊。今なお重版が相次ぎ、2018年6月現在で124版を数える。
百寿の2017年に、晩年を過ごした京都の施設を、東大時代の教え子有志が訪問した。関係者によれば、部屋着をプレゼントすると笑顔で喜んだ。耳は聞こえ、会話もできた。すっかり穏やかになり、冗談を言えるくらいの元気はあった。現代社会の評論を展開するようなことはほぼなく、昔話に花を咲かせた。