ロシア・ワールドカップ(W杯)の登録メンバー23人が2018年5月31日に発表されたが、「選ばれなかった選手」をめぐっても議論が絶えない。中でも惜しまれているのは、中島翔哉(23)だろう。リオデジャネイロ五輪では背番号10番をつけていたのに。
中島の選外で嫌なジンクスが改めて注目されている。夏季五輪で10番をつけた選手は、直後のW杯でことごとく選外になっているのだ。
松井大輔も
中島は今季ポルティモネンセ(ポルトガル)で10ゴール12アシストを記録し、能力は十分。バヒド・ハリルホジッチ監督が3月のベルギー遠征に招集すると、マリ戦でいきなりゴール。暗雲が立ち込める代表に見えた、数少ない光明となった。そのためW杯での活躍も期待されたが、選外。4月に就任した西野朗監督は「彼は1年間、ポリバレントではなかった」と、複数ポジションをこなせないと判断したようだ。
中島は16年リオ五輪で10番を背負った。23歳以下の選手で争われる五輪サッカーは、次代のA代表選手として頭角を現すことが期待される場でもある。夏季五輪とW杯は4年に一度、2年ずらして開催され、「アテネ(五輪)経由ドイツ(W杯)行き」といった言葉も過去には使われた。漫画「キャプテン翼」を持ち出すまでもなく、エースナンバー・10を五輪でつけたとなれば尚更、という気もする。
ところが実際はそうではない。五輪で10番をつけた選手は直後のW杯代表選外が続いている。
日本のW杯初出場は98年フランス大会。その直前は、西野監督が率いてブラジルに勝利し「マイアミの奇跡」と称えられた96年アトランタ五輪だ。この時の10番は遠藤彰弘(当時横浜マリノス)が背負ったが、フランスW杯の代表には選ばれなかった。
00年シドニー五輪の10番は、18年現在も現役選手として活躍する中村俊輔(当時横浜F・マリノス)だった。同五輪も、2年後の日韓W杯も、監督はフィリップ・トルシエ氏が兼任。トルシエ氏は五輪予選から中村を重用し期待をかけていたようだが、日韓W杯ではまさかの選外とし、当時衝撃を与えた。
その後も04年アテネ五輪の10番・松井大輔(当時京都サンガ)が06年ドイツW杯で選ばれず。08年北京五輪の10番・梶山陽平(FC東京)も10年南アフリカW杯で、さらに12年ロンドン五輪の10番・東慶悟(当時大宮アルディージャ)も14年ブラジルW杯で、それぞれ代表入りすることはなかった。そして今回の中島でも、この「法則」が続いた。