「あの人は今、何を思っているのだろうか?」――。日本大学アメフト部の悪質タックル問題が大学全体の改革にまで発展している中、ある人物が全共闘世代から脚光を浴びている。動員数全国一の日大全共闘を指揮した秋田明大氏だ。
J-CASTニュース編集部では、秋田氏に電話取材。「日大改革」について質問をぶつけた...。
「秋田明大はどんな気持ちで...」
弱冠20歳の学生を襲った悲劇は、大学組織の根幹を揺るがす騒動へと発展した。日本大学は2018年6月1日、アメフト部の内田正人前監督が5月30日付で常務理事を辞任したことを発表。一連の悪質タックル問題で、権力の座を追われたのだ。
この問題を巡っては、負傷した関西学院大学の選手側が5月31日、内田前監督らについて傷害容疑の告訴状を警視庁調布署に提出。日大教職員組合は同日、大学の抜本的改革を求めて要求書を大学側に提出。このなかで、田中英寿理事長、大塚吉兵衛学長の辞任、内田氏の解任などを求めた。さらにアメフト部の現役選手も29日、関学選手らに謝罪する声明を出していた。
学生をはじめ関係者がこうして大学中枢に反旗を翻しているさまは、ちょうど50年前の全共闘と二重写しになる。中でも日大全共闘の議長だった秋田明大氏の名前を思い返す人は多いようだ。実際、ツイッターなどインターネット上ではここ数日、
「連日のTV報道、秋田明大さんは、どんな気持ちでいるのだろうか?」
「秋田明大...日大紛争のカリスマの名を思い出す。あの大学、半世紀経っても相変わらずだ」
「日大闘争が再び脚光を浴びている。秋田明大はどんな気持ちで報道を見ているだろうか」
「秋田明大は今何を思っているのだろうか?」
といった声が続々と寄せられていた。
自動車修理工場の経営へ
日大全共闘は1968年、20億円を超える大学側の経理不正問題が表面化したのがきっかけだった。
当時大学4年生の秋田氏は、教職員組合や父兄会を巻き込み、議長として全国一の動員数を誇る大学共闘を指揮。69年に公務執行妨害などの容疑で逮捕され、それにともない全共闘も衰退していった。
産経新聞の連載記事「【さらば革命的世代】」によると、秋田氏は留置場から出た後、路上で自作詩集を売り、映画に出演するなど、政治から離れた。故郷の広島県呉市音戸町に戻り、自動車修理工場の経営を始めたという。
それ以来、政治の場から距離を置いていた。1967年10月の第一次羽田闘争で死去した京大生・山崎博昭さんを追悼する「10・8山崎博昭プロジェクト」に賛同者として名前を連ねたが、こうしたことはめったになかった。
そんな秋田氏が5月31日、重い口を開いた。J-CASTニュース編集部で自動車修理工場に電話取材を申し込んだところ、受話器から聞こえてきたのは、老人の声だった。
――お忙しいところすみません。失礼ですが、あなたは秋田明大さんで間違いないでしょうか。
「はい。そうですけれども」
「日大のアメフト部...?」
――そうですか。この度、取材のお願いで電話しまして。日大のアメフト部の一件について、ご見解をうかがえないかと思っております。
「日大のアメフト部...?」
――はい。今から半世紀前、日大で全共闘を指揮していた秋田さんの姿に、今回の問題を重ね合わせる人も多いようでして。この問題をどのようにご覧になっているか、お話を聞かせていただけないでしょうか。
「すみませんが、もう50年前のことですから、その件についてはお答えできません。失礼します」
秋田氏は71歳。残念ながらそれ以上は答えてもらえなかった。が、その声から受ける印象は、とてもあの全共闘を指揮した人物とは思えないほど、穏やかなものだった。