小学校の道徳の教科書で、報酬をもらわなくても仕事を続けるべきとも受け止められる表現があるとして、ネット論議になっている。
「わたしたちもしごとをしたい」。論議になったのは、文科省検定済教科書「小学どうとく ゆたかなこころ 2年」(光文書院刊)の46ページ目にある、このタイトルの章の表現だ。
小学生の娘がいる母親がツイッターで疑義
テーマは、「みんなのためにはたらく みんなのやくに立つしごとには、どんなものがありますか」というもので、大地震で隣町が大変なことになったとの想定で道徳上の問いかけが行われる。
大勢の大人が助けに出かけたが、町に残った人も働く人が少なくなった。そんな中で、ポンタくんら動物7人は、自分たちにできる仕事はないか相談し、草取りをしたり、赤ちゃんをあやしたり、浴室を掃除したりすることを思い付いた。
7人はその後、被災地で仕事をしたらしく、町長から「進んで働いたのは偉い」として、ご褒美をたくさんもらった。しかし、ポンタくんたちは、「ご褒美をいただかなくても、仕事を続けたい」と誓った。
最後に、「だって、」以下にご褒美をもらわなくても仕事を続ける理由について、授業中に児童らに書いてもらう内容になっている。
こうした表現について、小学生の娘がいるというある母親がツイッターで2018年5月27日、疑問を呈した。給料をもらわなくても会社で働くべきとも受け止められる表現で、授業で教えるのはおかしいのではないかということだ。
「給料は支払われるのが正しい」「『労働』の文脈で語るのはナンセンス」
小学生の「仕事」だけに、ボランティアをすることとも解釈はできる。台所の仕事など、するべきことの意味でも使われるからだ。
とはいえ、ボランティアとは教科書に明記されておらず、大人になってからの仕事の意味だとすると、報酬を伴う震災復旧の作業などになる。この母親は、残業代も支払わないようなブラック企業を肯定することにつながりはしないか、と心配したらしい。
母親の投稿は、5月29日夕現在で3万件ほどもリツートされており、様々な意見が書き込まれている。
ツイッター上などでは、母親の心配に理解を示す向きも多い。「仕事した分の給料は支払われるのが正しい」「こうして子供たちは給料が無くても働くように洗脳させるのか...」「道徳教える前に法律教えないとですよね」といったものだ。
一方で、「子どもたちにとっての『お仕事(責任をもってやらないといけないこと)』っていう例えなのかと私は思ってます」「教科書を『労働』の文脈で語るのはナンセンス」といった指摘も出ていた。