死去の栗城史多さん、「勇気」と「感動」の果てに 叶わなかったエベレスト登頂

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   登山家の栗城史多(くりき・のぶかず)さんが2018年5月21日、エベレスト下山中に遺体で発見された。35歳だった。栗城さんの公式ブログで発表された。

   1982年、北海道生まれ。栗城さんは8度目となったエベレスト挑戦に向け、4月の日本出立から細かくブログで状況を報告。だが、5月21日10時ごろ、「栗城は体調が悪く、7400m地点から下山することになりました。今後の行動は未定で、栗城が無事に下山して状況がわかり次第、お知らせいたします」との報告がなされていた。

  • 訃報を伝えた栗城史多さんのブログ
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低体温で息絶えた

   その後、栗城さんの公式ブログは21日午後、事務所の小林幸子氏が更新。栗城さんについて「このようなお知らせになり大変申し訳ございませんが、エベレストで下山途中の栗城が遺体となり発見されました」と死亡を伝えた。

   死の状況については「下山を始めた栗城が無線連絡に全く反応しなくなり、暗い中で下から見て栗城のヘッドランプも見当たらないことから キャンプ2近くの撮影隊が栗城のルートを登って捜索し、先ほど低体温で息絶えた栗城を発見いたしました」という。

   「生きて帰ることを誓っておりましたのに、このような結果になり大変申し訳ございません。生きて帰るため執着しないと誓っておりましたのに、最後に執着してしまったのかもしれません」と栗城さんの心情を推し量り、「皆様へのご報告が遅くなりなりましたこと、心よりお詫び申し上げます」と、ファンに謝罪。

   一方、「何m地点で発見されたかなどこれ以上の詳細が日本でわからず大変恐縮ですが、またわかり次第お知らせ申し上げます」と詳細は不明だという。最後に「これまで栗城を応援していただき、本当にありがとうございました」と感謝の思いを伝えた。

   公式サイトの経歴によれば、大学時代に山岳部で登山をはじめた。04年にマッキンリー(6194メートル)の登頂に成功すると、毎年高山に登り、8000メートル峰にも08年のマナスル(8163メートル)などに登頂。そして09年から、8848メートルのエベレストへの挑戦が始まった。13~14年を除いて毎年挑み、12年の4度目のエベレスト挑戦では、重度の凍傷で両手の指9本を切断することになったが、挑戦を続けた。15年の5度目では8150メートルまで到達した。

   あくなき挑戦を続けるその姿にはファンも多い。09年から登山のインターネット中継を行っていたほか、積極的にブログ・SNS発信を続けており、投稿のたびに多くの応援の声が集まった。サイトや著書では、「勇気」や「挑戦」の大切さを説き、感動の声が寄せられ続けた。訃報を伝えたフェイスブック投稿には、1時間あまりで1000件超のコメントが集まり、お悔やみの言葉がおくられている。アスリートの為末大さん、作家の乙武洋匡さん、ジャーナリストの堀潤さんら、著名人もツイッターで、その死を悼んだ。

   一方で、その登山方法をめぐっては議論もあった。

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