知り合いのベン(61)は、黙って自分のiPhoneを私に差し出した。画面にあるのは、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、板門店(パン・ムンジョム)にある南北軍事境界線に立つ、テレビで繰り返し見たあの動画のようだった。が、最後が違った。
金氏が文氏の手を取り、2人が境界線を超えて北朝鮮側に入ったとたん、地面が真っ二つに割れて文氏が中に落ち、苦しみの叫び声が聞こえるなか、地面が閉じるという衝撃的なパロディ版で、私は思わず声を上げた。
ネット上で流れている動画で、どれだけ拡散されているのかわからないが、ベンのiPhoneに保存してあったらしく、北朝鮮の話になるとすぐにこの動画を見せた。
大統領支持者の中にも懸念
この連載の前回の記事「『米朝首脳会談でノーベル賞を』めぐる分断」で登場したベンは、 ニューヨーク市に住む正統派ユダヤ教徒で、ユダヤ教の教えと伝統を頑なに守り続けている。
当日(2018年5月3日)はちょうど、ユダヤ教の祭典「ラグ・バオメル(Lag Baomer)」が行われ、アメリカでも多くのユダヤ教徒がかがり火をたいて祝った。
動画を見たのは、ベンの家族に誘われて、そのお祭りに行く車の中でのことだった。ベンの家族や親族はほぼ全員がトランプ氏に投票し、その支持の強さは今も変わらない。
「この男(金氏)はナイーブな少年じゃない。頭がよく、抜け目ないやつだ。人も態度も変わったように見えるのは、この男の戦略さ。核を手放すわけがない。やつの手にまんまと引っかかるわけにはいかないんだ」
ベンにとって北朝鮮は今も、イランと同じように信用ならない相手なのだ。
党派に関係なく、「金氏にうまく丸め込まれ、のむべきではない条件をトランプがのんでしまうのでは」とトランプ氏の交渉力を疑問視する声、「もし米朝会談がうまくいかなかったら、今度こそトランプが戦争を始める」と懸念する声もある。 知り合いのジョナサン(30代)は、「そうなったら日本に、北朝鮮の難民が押し寄せてくるんじゃないか」と私に言った。
その2日後、マンハッタン南端のバッテリーパークシティでくつろいでいると、ロシア人やアメリカ人の集団が、第二次世界大戦のヨーロッパにおける戦勝を記念し、行進していた。連合国がドイツを降伏させた5月8日を、週末に前倒しで祝っていたのだ。
参加していた60代くらいのアメリカ人女性が、ビラを手渡しに来た。
「アメリカの元軍人も、一緒に祝うのよ。ソ連とアメリカは、ともに戦いましたからね」と私に話しかけた。
「私は日本人だから、敵でしたね」とわざと深刻な顔で答えた。
するとその女性は私を抱き寄せ、笑顔で言葉を返した。
「何を言うんですか。私たちはもう友達。今、朝鮮半島で起きていることを見てごらんなさい。もう、敵も味方もないんですよ」