元朝日・女性記者語る取材でのセクハラ実態 「触っていい?」「家行っていい?」

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「飲みに行くと『おっぱい触っていい?』とか、『家に行ってもいい?』とか。カラオケに呼び出されて腕を組んで一緒に歌わされたり、顔を近づけられたり......」

   そう振り返るのは、かつて朝日新聞で記者として働いていた女性(以下、Aさん)だ。

  • セクハラ問題で揺れる財務省
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夜呼び出され...「来てくれたら話があるのになー」

   Aさんは90~00年代にかけ、事件取材や中央省庁の記者クラブで勤務していた経験を持つ。週刊新潮の報道を受け、「女性記者」のセクハラ被害について社会的関心が高まる中、J-CASTニュースは当時の体験を聞いた。

   「セクハラ」という言葉は1989年に新語・流行語大賞で取り上げられ、社会的な認知も高まりつつあったが、まだAさんの周囲を含め、現在のように積極的に被害を訴える、というような状況ではなかった。また配属された当初、記者クラブに女性記者はせいぜい数人ほど。そんな状況で、好奇の目を受けつつ、夜回りなどにいそしむAさんの元には、「呼び出し」がしばしばあったという。

「電話で『来い』と言われて、『忙しい』と断ると、『来れば話があるのになー』」

   そうして飲みに出かければ、冒頭に挙げたような「セクハラ」だ。「おっぱい触っていい?」といえば、まさに問題になっている財務省の福田淳一事務次官の発言そのまま。「毎日とは言わないがしょっちゅう。月に何回かは」とはAさんの弁である。挙句、呼び出すだけ呼び出して、何も教えてもらえない、なんてこともざらだった。

   とはいえ、そうした「付き合い」の中から、有益な情報が引き出せることもあった。Aさん自身、不快ではあったものの、「記者の仕事とはこういうものだ」とも割り切っていた。自分なりの「線引き」を作って身を守りつつ、ある意味ではそれを逆手にとって「取材」を続けていたと当時を回想する。周囲の女性記者も同じで、「セクハラ」が騒ぎになった話は記憶にはないという。

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