マラソンの川内優輝(31・埼玉県庁)が世界最高峰の一つ、ボストン・マラソンを制覇する偉業を成し遂げた。注目は驚異のラストスパートにある。
40キロ地点で、先頭の世界陸上王者ジェフリー・キルイ(ケニア)から20秒の遅れを取ったが、残り2.195キロを爆走。追い抜いたうえ、2分以上の差をつけるスパートだった。
40キロで20秒遅れ→ラスト2.195キロで2分25秒差つける
ボストン・マラソンは2018年4月16日(現地時間)に開催。気温3度の寒さと風雨にさらされる悪条件だったが、川内は冷静にレースを運んだ。20キロ以降は先頭集団をキープし、5キロごとのラップタイムも安定して16分台を維持した。
驚くべきは35キロ以降だ。この時点でトップのキルイに2分31秒遅れの2位。優勝争いはほぼ決したかに思えたが、川内は30キロ以降から始めていたスパートを一段階上げた。40キロ地点ではその差を20秒まで詰めると、ラスト2.195キロで追い抜き、終わってみれば2位のキルイに2分25秒差をつけて圧勝した。9位に終わった17年8月のロンドン世界陸上でも、ラスト2.195キロのラップタイムが全選手中トップだったのを彷彿とさせる。
試合後に川内は、「寒いのが得意なのでチャンスがあると思った。自分にとって最高のコンディション」と、悪天候を歓迎する言葉を残している。
振り返るとレース序盤から川内のペースだった。スタートから先頭集団を飛び出し、5キロ地点を15分1秒のトップ通過。ケニア・エチオピア勢を翻弄した。17日放送の「Nスタ」(TBS系)では元マラソン選手のスポーツジャーナリスト・増田明美さんが「気温の高いケニアの選手は寒さや雨が苦手。序盤はスローペースにし、最後だけスパートしようとしたが、川内選手がそうさせなかった」と解説している。
川内はアフリカ勢に比べパーソナルベストは大きく劣る。今大会は2時間4分11秒のタミラト・トラ(ケニア)をはじめ4分台が3人、5分台が3人、6分台も3人、7分台が1人出場。川内はこれに続く2時間8分14秒で全体11番目だ。「今日私が勝つことを予想していた人は一人もいなかったと思う。マラソンは何が起こるかわからないスポーツだと証明できた」と本人が語ったように、対応力と駆け引きの勝利と言える。それを会得した大きな要因は、「レースは練習の一環」と語るほどの出走の多さにある。
「この結果を踏まえて瀬古利彦さんや陸連は何を思うのか」
一般的にマラソン選手は年間2試合ほど出場するところ、川内は2017年だけでも12試合に参戦。ケガなどのリスクを承知で、過酷な状況下でのレースをいくつも乗り越えてきた。
記憶に新しいのは、18年1月に行われた同じ米ボストンのマーシュフィールド・ニューイヤー・マラソン。氷点下17度、コースには雪が積もるというコンディションのレースは、参加者わずか3人。その中で、頭まで覆った防寒ウェアの川内だけが42.195キロを完走した。記録も2時間18分59秒のサブ20(2時間20分未満)だった。
ボストン・マラソンは17年に大迫傑が3位に入ったが、優勝は1987年の瀬古利彦氏(現・日本陸上連盟マラソン強化戦略プロジェクトリーダー)以来31年ぶりの快挙。箱根駅伝出場歴のある俳優・和田正人さんは17日未明、その瀬古氏に絡め
「いや、マジで、この結果は驚きを隠せ得ない。川内優輝を信じていないとかではなくて、ここで、このタイミングで結果を作るこの人の勝負運。この結果を踏まえて瀬古利彦さんや陸連は何を思うのか。興味津々」
とツイッターに投稿した。
17日昼の日刊スポーツ(ウェブ版)によれば、瀬古氏は「東京五輪は出ませんと言っていますが、ぜひMGC(マラソン・グランド・チャンピオンシップ=東京五輪の代表選考会)には出て欲しい」とコメントしたという。川内は上記17年8月の世界陸上を最後に、日本代表引退の意向を表明している。