「見つけることができなかった」と国会答弁していた陸上自衛隊のイラク派遣時の活動報告(日報)の存在が明らかになった問題で、陸自は2017年3月の時点で日報の存在を把握してきたことが明らかになった。
このことは、当時の稲田朋美防衛相には報告されていなかった。稲田氏は「驚きと同時に怒りを禁じえない」と述べたが、当時の監督責任が問われるのは必至で、野党からは「まるで被害者のよう」といった批判も出ている。
国会答弁の1か月後には「発見」されていた
日報問題をめぐっては、民進党(当時、現・希望の党)の後藤祐一衆院議員が2017年2月20日の衆院予算委員会で存在の有無を質したのに対して、稲田氏は
「確認をいたしましたが、見つけることはできませんでした」
と答弁。だが、実際には存在していたことが18年4月2日に明らかになった。この時点では、文書の存在は18年1月に確認されたとしていた。稲田氏は翌4月3日、記者団に対して
「南スーダンの反省のもとで、しっかり文書管理をするということで、今回徹底的に捜索した結果、見つかったということだと思う」
などとして、自らの辞任の引き金になった南スーダンPKO日報問題の再発防止策が機能した結果の「発見」だったとの見方を示していた。
だが、翌4月4日夜、日報は国会答弁直後の17年3月27日に陸自研究本部(当時)の外付けハードディスクから発見されていたが、稲田氏や政務三役には報告されていなかったことを小野寺五典防衛相が発表。17年夏から始まった再発防止策とは関係なく、陸自は日報の存在を把握していたことが明らかになった。
「まるで被害者のような稲田氏の発言に『驚きと怒りを禁じ得ない』」
こういった状況に稲田氏は態度を一変。4月5日午前、報道陣に対して
「大変驚いていると同時に、そこ(日報発見)から1年以上も経っており、非常に驚きと同時に怒りを禁じえない」
「そういったこと(シビリアンコントロール)も含めて、しっかりコミュニケーションが取れていたかという点も含めて、改革を進めるべき」
などと怒りをあらわにした。
こうした稲田氏の発言に対し、共産党の山下芳生副委員長は、発言を伝える記事を引用しながら、
「まるで被害者のような稲田氏の発言に『驚きと怒りを禁じ得ない』」
とツイートした。