一度は国会答弁で「見つけることができなかった」と断言していた陸上自衛隊のイラク派遣時の活動報告(日報)が、実は存在していたことが2018年4月2日に明らかになった。
野党側は当時の稲田朋美防衛相が虚偽答弁をしたり、防衛省が日報を隠蔽したりしたとの見方を強めているが、小野寺五典防衛相は「限られた時間の時間の中で探索が行われた」などと、稲田氏をかばうともとれる説明を続けている。そんな状況に、野党からは「過去の責任は稲田大臣の責任にして、しっかり仕事していただきたい」と、小野寺氏にとっては「助け舟」のような声もあがっている。
「確認をいたしましたが、見つけることはできませんでした」
存在が確認された「日報」は、04~06年の陸自のイラク派遣期間中に作成された述べ376日分。ページ数にすると約1万4000ページに及ぶ。民進党(当時、現・希望の党)の後藤祐一衆院議員は2017年2月20日の衆院予算委員会で
「イラクの派遣のときの日報が残っているかどうか」
について確認を求めたところ、稲田氏は
「お尋ねのイラク特措法に基づく活動の日報については、南スーダンPKOと同様の現地情勢や自衛隊の活動内容を記録した現地部隊の日報については、確認をいたしましたが、見つけることはできませんでした」
と断言していた。それが1年以上経って一転した。
防衛省の説明によると、稲田氏の辞任の引き金になった南スーダンPKO日報問題の再発防止策の一環として、17年夏以降に「陸上自衛隊のすべての部隊等が保有する文書を丹念に確認してきた結果」として、イラクの「日報」の一部が陸上幕僚監部衛生部と研究本部で保管されていることが分かったという。それぞれの部署で1月31日、1月12日に文書が確認されたが、取りまとめや内容の精査に時間がかかり、小野寺氏に報告が上がったのは3月31日のことだった。
小野寺氏は、4月3日の記者会見で、ここまで時間がかかった経緯について
「この事案に関して調査をする中で、どのような経緯であったかを確認していきたい」
とする一方で、17年に稲田氏が「見つけられなかった」と答弁したこととの整合性については
「今回のイラクの『日報』の一部が確認された陸自研究本部では、昨年2月から3月にかけて、限られた時間の中で探索が行われたが、イラクの『日報』の保有は確認されなかった」
などと述べるにとどめた。