【震災7年 明日への一歩】人口流出に悩む気仙沼大島 橋の早期開通を待ち望む住民たち

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   東日本大震災で、宮城県気仙沼市は津波と大火事で甚大な被害を出した。市中心部からフェリーで40分ほどの海上に浮かぶ気仙沼大島(以下、大島)も例外ではなかった。死者・行方不明者は31人に上り、港が破壊されて本土との交通手段を失った住民は数日間孤立を余儀なくされた。

   震災後は人口流出に拍車がかかり、島は高齢化に悩まされている。その中で明るい話題が、島と気仙沼市街を結ぶ「気仙沼大島大橋」の架設だ。島民にとって半世紀の願いが成就しようとしているが、課題もある。

  • 安波山から見た気仙沼湾。大島に架かる橋が見える
    安波山から見た気仙沼湾。大島に架かる橋が見える
  • 大島に住む小野寺しめ子さん(右)と村上吉行さん
    大島に住む小野寺しめ子さん(右)と村上吉行さん
  • 連絡船が発着する浦の浜港近くに観光施設「大島ウェルカム・ターミナル」が建設される
    連絡船が発着する浦の浜港近くに観光施設「大島ウェルカム・ターミナル」が建設される
  • 気仙沼から大島に向かう船から見た大橋
    気仙沼から大島に向かう船から見た大橋
  • 安波山から見た気仙沼湾。大島に架かる橋が見える
  • 大島に住む小野寺しめ子さん(右)と村上吉行さん
  • 連絡船が発着する浦の浜港近くに観光施設「大島ウェルカム・ターミナル」が建設される
  • 気仙沼から大島に向かう船から見た大橋

急病人の搬送、通勤通学で生じる不便

   気仙沼湾をのぞむ標高239メートルの安波山の展望台から、白いアーチ型の橋がくっきりと見えた。記者が当地を訪れた2018年3月17日のことだ。ほぼ1年前の17年3月29日、大型クレーン船により重さ2700トン、長さ228メートルの橋の中央部分を架設。市街地と島が陸路でつながった。周辺の工事を経て2018年度内の開通を目指す。

「橋が架かる日、早朝から見に行ったんですよ」

   大島出身の村上吉行さん(70)は笑顔を見せた。7年前の震災当日は、気仙沼の市街地にいた。津波により、島では連絡フェリーが陸地に押し上げられ、発着場となっている浦の浜港も使用不能となった。島に渡るには、船しかない。村上さんは家に帰る術を失い、島に住む家族とも連絡が取れず、避難所で数日間不安な時を過ごした。ようやく帰宅できたのは、地震から4日後の2011年3月15日だった。

   橋の完成は、大島で生まれ育った村上さんをはじめ住民の長年の悲願だ。震災で経験したとおり、大災害時には交通手段が失われ、物資の輸送や救援隊の受け入れに支障や遅れが出る。何より日常生活で不便な点が少なくない。

   例えば急病人が発生した場合だ。島には大きな病院がない。まず患者を車で港まで運び、船に乗せて気仙沼の船着き場へ。さらにそこから救急車で病院に搬送と手間がかかるうえ、最低1時間は要する。

   通勤通学も簡単ではない。市街地に通う高校生は、朝6時40分発の船に乗らねば授業に間に合わない。寒い冬場や悪天候の日は大変だ。帰宅の最終は気仙沼発19時で、乗り遅れれば帰れない。運行会社の大島汽船のウェブサイトによると、定期料金は通学が1か月9840円、通勤は同1万4760円だ。

   カーフェリーもあるが、通常料金は最も安い車両サイズである4メートル未満で往復4140円かかる。このため「大島の多くの人は、島と気仙沼に1台ずつ車を持っています。しかも島に帰れない日は、気仙沼の友人や親せきの家に泊まらないといけないんです」と村上さんは話す。

   市街地と島が橋で結ばれれば、移動にまつわるこうした面倒は解決するはずだ。

「観光で来る多くの人たちに喜んでもらえる島に」

   気仙沼市の発表によると、震災前の2011年2月末時点での人口は3249人だったが、18年2月末現在で2513人と、7年前と比べて2割以上減った。残った島民の半数近くは65歳以上だ。

   こうした現状に、大島在住の小野寺しめ子さん(78)は島の将来を憂慮する。人は減り、子どもの元気な声を聞いたり姿を見たりする機会は少なくなった。

   それだけに、橋の開通は待ち遠しい。村上さんが話したように、高齢の住民にとっては総合病院へのアクセスが大幅に改善されるのが大きい。島からの通勤通学も楽になるはずだ。

「生活範囲が広くなり、時間に束縛されず自由に行き来ができるようになります」

   島の観光活性化にも、小野寺さんは期待を寄せる。島北部にある標高235メートルの亀山の山頂に行くと、眼下にリアス式海岸の美しい風景が広がり、雄大な山々を望むことができる。海水浴場として人気がある小田の浜ほか、海辺も魅力だ。交通の便がよくなれば、こうした豊かな自然を求めて都会からの観光客が増える可能性がある。

   もちろん橋がすべてを解決してくれるわけではない。かつて亀山の展望台には港からリフトがつながっていたが、震災時の火災で焼失して今も再建されていない。観光ガイドの経験が豊富な小野寺さんによると、島の民宿や観光業の後継者不足は深刻だ。観光客を迎える態勢の整備が必要となる。

   もうひとつ、気がかりがある。市が橋の完成に合わせて進めてきた新しい観光拠点「大島ウェルカム・ターミナル」の供用開始に遅れが生じる点だ。拠点には地元の商業施設が入り、駐車場を整備する。車やバスで来た観光客が土産物ほかショッピングを楽しめるようになる。だが、橋の開通時にオープンしていなければ、最も注目されている時期に商機を逃すばかりか、「大島に行っても買い物すらできない」と観光客に悪い印象を与えかねない。

   ただ明るい兆しも出てきた。気仙沼市産業部商工課に取材したところ、市が18年3月24日、大島住民を対象に開いた説明会で、拠点用地の造成工事が当初予定から7か月早まり、19年2~3月に完了すると明らかにした。商業施設は民間業者が建設するが、3月25日付の河北新報(電子版)は、「早ければ19年6月にもオープンする見通し」と報じた。

   小野寺さんも、大島ウェルカム・ターミナルの早期完成を望む。

「観光で来る多くの人たちに喜んでもらえる島になって欲しいのです」

   新しい橋が文字通り、島外の人との「架け橋」となり、大勢の訪問客でにぎわう大島の姿が見たい。住民にとっては、生活環境の向上につながってほしい――。震災で傷ついた多くの島民が、橋を渡れるようになる日を心待ちにしている。

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