東日本大震災で、宮城県気仙沼市は津波と大火事で甚大な被害を出した。市中心部からフェリーで40分ほどの海上に浮かぶ気仙沼大島(以下、大島)も例外ではなかった。死者・行方不明者は31人に上り、港が破壊されて本土との交通手段を失った住民は数日間孤立を余儀なくされた。
震災後は人口流出に拍車がかかり、島は高齢化に悩まされている。その中で明るい話題が、島と気仙沼市街を結ぶ「気仙沼大島大橋」の架設だ。島民にとって半世紀の願いが成就しようとしているが、課題もある。
急病人の搬送、通勤通学で生じる不便
気仙沼湾をのぞむ標高239メートルの安波山の展望台から、白いアーチ型の橋がくっきりと見えた。記者が当地を訪れた2018年3月17日のことだ。ほぼ1年前の17年3月29日、大型クレーン船により重さ2700トン、長さ228メートルの橋の中央部分を架設。市街地と島が陸路でつながった。周辺の工事を経て2018年度内の開通を目指す。
「橋が架かる日、早朝から見に行ったんですよ」
大島出身の村上吉行さん(70)は笑顔を見せた。7年前の震災当日は、気仙沼の市街地にいた。津波により、島では連絡フェリーが陸地に押し上げられ、発着場となっている浦の浜港も使用不能となった。島に渡るには、船しかない。村上さんは家に帰る術を失い、島に住む家族とも連絡が取れず、避難所で数日間不安な時を過ごした。ようやく帰宅できたのは、地震から4日後の2011年3月15日だった。
橋の完成は、大島で生まれ育った村上さんをはじめ住民の長年の悲願だ。震災で経験したとおり、大災害時には交通手段が失われ、物資の輸送や救援隊の受け入れに支障や遅れが出る。何より日常生活で不便な点が少なくない。
例えば急病人が発生した場合だ。島には大きな病院がない。まず患者を車で港まで運び、船に乗せて気仙沼の船着き場へ。さらにそこから救急車で病院に搬送と手間がかかるうえ、最低1時間は要する。
通勤通学も簡単ではない。市街地に通う高校生は、朝6時40分発の船に乗らねば授業に間に合わない。寒い冬場や悪天候の日は大変だ。帰宅の最終は気仙沼発19時で、乗り遅れれば帰れない。運行会社の大島汽船のウェブサイトによると、定期料金は通学が1か月9840円、通勤は同1万4760円だ。
カーフェリーもあるが、通常料金は最も安い車両サイズである4メートル未満で往復4140円かかる。このため「大島の多くの人は、島と気仙沼に1台ずつ車を持っています。しかも島に帰れない日は、気仙沼の友人や親せきの家に泊まらないといけないんです」と村上さんは話す。
市街地と島が橋で結ばれれば、移動にまつわるこうした面倒は解決するはずだ。