京都大学が2018年3月29日、公式サイトで「軍事研究は行わない」とする方針を発表した。「本学における研究活動は、社会の安寧と人類の幸福、平和へ貢献することを目的とするもの」であることを理由としている。
発表文に詳しい背景は書かれておらず、これだけでは唐突な印象も受ける。京大はJ-CASTニュースの取材に「日本学術会議の声明を受けてのものです」と明かす。
「社会の安寧と人類の幸福、平和へ貢献することを目的とするもの」
「京都大学における軍事研究に関する基本方針」の題で公式サイトに掲載された文章は、まず「本学は、創立以来築いてきた自由の学風を継承し、地球社会の調和ある共存に貢献するため、研究の自由と自主を基礎に高い倫理性を備えた研究活動により、世界に卓越した知の創造を行うことを基本理念に掲げています」とする。そのうえで
「本学における研究活動は、社会の安寧と人類の幸福、平和へ貢献することを目的とするものであり、それらを脅かすことに繋がる軍事研究は、これを行わないこととします」
と宣言した。ただ、
「個別の事案について判断が必要な場合は、総長が設置する常置の委員会において審議することとします」
とも付されている。
詳細な説明はなく、ツイッターでは「突然どうした」「何が起きているのか」と戸惑いの声ももれた。
発表について、京大は29日のJ-CASTニュースの取材に「17年3月の日本学術会議の『声明』を受けて、学内で検討のためのワーキンググループを立ち上げ、議論を経てこのたびの基本方針の発表となりました」と話す。議論では、この「声明」が「大きな材料として使われておりました」と説明した。
自然・人文・社会科学の全分野にわたる日本の科学者の機関「日本学術会議」は、17年3月24日付で「軍事的安全保障研究に関する声明」を発表し、「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」との文言を含む同会議の1967年の声明を「継承する」とした。なお、京大総長で霊長類学者の山極寿一氏は、17年10月からこの日本学術会議の会長をつとめている。
この声明では、「大学等の研究機関」に対し、「軍事的安全保障研究とみなされる可能性のある研究について、その適切性を目的、方法、応用の妥当性の観点から技術的・倫理的に審査する精度を設けるべきである」との要請もある。これがきっかけとなって、京大で議論が進められたというわけだ。
軍事研究とそうでない研究との「線引き」
1967年の声明をいま継承した背景として、「近年、再び学術と軍事が接近しつつある」ことをあげ、「政府による研究者の活動への介入が強まる懸念がある」としている。特に、防衛装備庁(防衛省の外局)で2015年度に発足した「安全保障技術研究推進制度」について、「将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査」されるなどの点から、「政府による研究への介入が著しく、問題が多い」と否定的だ。
一方、今回の京大の発表に対してインターネット上では、軍事研究とそうでない研究との「線引き」ができるのかとの指摘もある。京大は取材に対し、「確かに、軍事研究の定義は難しいとワーキンググループでも議論になりましたが、『研究内容が軍事利用に直接つながること』や、『研究成果が軍事利用につながる可能性があること』などを判別の大きな方針としています」と説明。「判断の難しい事案については、発表文でも示したとおり個別に審議することとし、審議にあたっての詳細な基準は今後検討していきます」と、発表があくまで「基本方針」である旨を述べていた。
また、ネット上では「軍事技術開発こそが民生技術への転用で人類に取っての利便性を押し上げてるのだが」と、軍事研究の意義を説く向きも少なくない。
この点、日本学術会議の委員会に招致されたこともある池内了(さとる)名古屋大学名誉教授は、著書『科学者と軍事研究』(岩波書店・17年12月20日発行)で、「『軍事は発明の母』と言ってよいのかどうか」と言及している。「戦争という状況を想定すると」として、「極限的な状況のなかで生じる『必要性』は、緊迫した要求となって新製品の発明に結びつくことも多いのは確かである」と一部で認めながら、「だからといって軍事や戦争が発明の母なのではなく、あくまで潤沢な軍事費が使われることが戦時に発明品が増える理由であることを忘れてはならない」などと主張している。