軍事研究とそうでない研究との「線引き」
1967年の声明をいま継承した背景として、「近年、再び学術と軍事が接近しつつある」ことをあげ、「政府による研究者の活動への介入が強まる懸念がある」としている。特に、防衛装備庁(防衛省の外局)で2015年度に発足した「安全保障技術研究推進制度」について、「将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査」されるなどの点から、「政府による研究への介入が著しく、問題が多い」と否定的だ。
一方、今回の京大の発表に対してインターネット上では、軍事研究とそうでない研究との「線引き」ができるのかとの指摘もある。京大は取材に対し、「確かに、軍事研究の定義は難しいとワーキンググループでも議論になりましたが、『研究内容が軍事利用に直接つながること』や、『研究成果が軍事利用につながる可能性があること』などを判別の大きな方針としています」と説明。「判断の難しい事案については、発表文でも示したとおり個別に審議することとし、審議にあたっての詳細な基準は今後検討していきます」と、発表があくまで「基本方針」である旨を述べていた。
また、ネット上では「軍事技術開発こそが民生技術への転用で人類に取っての利便性を押し上げてるのだが」と、軍事研究の意義を説く向きも少なくない。
この点、日本学術会議の委員会に招致されたこともある池内了(さとる)名古屋大学名誉教授は、著書『科学者と軍事研究』(岩波書店・17年12月20日発行)で、「『軍事は発明の母』と言ってよいのかどうか」と言及している。「戦争という状況を想定すると」として、「極限的な状況のなかで生じる『必要性』は、緊迫した要求となって新製品の発明に結びつくことも多いのは確かである」と一部で認めながら、「だからといって軍事や戦争が発明の母なのではなく、あくまで潤沢な軍事費が使われることが戦時に発明品が増える理由であることを忘れてはならない」などと主張している。