『君たちはどう生きるか』の著者・吉野源三郎はどういう人だったか、岩波書店の山口前社長に聞く

富士フイルムが開発した糖の吸収を抑えるサプリが500円+税で

岩波茂雄人脈が大きな財産

――後輩から見て、吉野さんとは、どんな人だったのでしょうか。

山口 信念の人だったと思います。人間の運命にかかわる仕事をやっているという信念がありました。要求レベルが非常に高い。勉強不足とか、時間がないとか、疲れたとか、そういう言い訳を言えない。要求をクリアするのが大変な人でした。

――『世界』のバックナンバーを見ると、昭和20、30年代の執筆陣はものすごい顔ぶれですね。今も人名事典に乗っているような人がずらっと並んでいる。

山口 一つには岩波茂雄(1881~1946)の人脈があります。東大の哲学科を出て1913年に岩波書店を創業。14年に夏目漱石の『こころ』を出版し、21年に雑誌『思想』、27年に岩波文庫、38年に岩波新書を創刊しました。漱石全集も出しましたし、芥川龍之介も遺書に「自分の全集は岩波から出してほしい」と言い残したほどです。
戦時中の43年に、岩波は創業30年記念のパーティをやっているのですが、当時の学界、芸術・文化界、政界のトップクラスの500人が着席で出席しています。司会は親友の安倍能成。彼が戦後文部大臣になり、岩波茂雄は文化勲章を受章しています。この人脈が大きな財産となって、昭和20年12月の『世界』創刊につながります。

――そうした人脈を引き継ぎながら、吉野さんは独自の人脈も開拓されたわけですね。

山口 都留重人さん、丸山真男さん、桑原武夫さん、大塚久雄さん、我妻栄さん、谷川徹三さんなどですね。『世界』の名付け親は谷川さんです。

――吉野さんは戦後の岩波文化人を束ねたといわれますが、幅の広い人だったようですね。

山口 戦時中も海外に目を広げ、英語やドイツ語の雑誌や文献をいつも読んでいました。学者だけでなく、与野党の政治家、官僚、GHQの将校などとも頻繁に会っていました。出版界では文藝春秋の池島信平さんととくに馬があったみたいです。『世界』のことを「金ボタンの秀才の雑誌だ」と言ったのは池島さんですが、二人で相談して『文春』と『世界』の編集長を一か月、交代しようなんていう話もしたそうです。実現しませんでしたが、それぐらい幅もあったし、仲がよかったということです。
姉妹サイト