お茶の間に親しまれ、2018年3月13日に亡くなったミステリー作家、内田康夫さんには意外な一面があった。世の中の動きに敏感に反応し、しばしば新聞に投書を重ねていたのだ。ある時は永田町の政治家に怒り、ある時は偉大な先達、松本清張への思いを語っていた。
ミステリー系の作家では赤川次郎さんや森村誠一さんなども社会的発言をすることが少なくないが、新聞への投書ということでは、内田さんが目立っていた。
学童疎開世代の屈折
比較的最近のものでは2015年6月9日、毎日新聞「みんなの広場」に投書している。「押しつけではなかった憲法」という見出しがついている。衆院の憲法審査会で憲法学者3人が「安保法制は憲法違反」だと表明したことについて、「日本の良識はまだ健在だ」と胸をなで下ろし、改憲論者が「押しつけ憲法だから」ということを改正理由に挙げることに疑問を投げかける。
「むしろ、帝国主義と軍国主義のもと、一方向しか見えていなかった国民に、広い視野と新たな価値観を与えてくれた贈り物として、大切にしていきたいものである」
こうした思いは、内田さんが1934(昭和9)年生まれの戦中派で、学童疎開などを経験してきた世代ということと密接につながっているようだ。同年生まれの愛川欽也氏が亡くなったときは、やはり「みんなの広場」に投書、「昭和ヒトケタからの遺言」という見出しで、こう語る。
「国に対して妙に懐疑的なのは、少年期に日本の栄光と挫折、あるいは虚構と真相を見てしまったせいだと思う。愛川さんに象徴されるように、表面は陽気で屈託なさそうだが、どこか斜に構え、屈折している。学童疎開世代に共通しているはずの反戦平和主義も内に秘めたまま、声高に主張することをしない。内向的な批判精神は昭和ヒトケタ族特有のものかもしれないが、後の世代に伝えてゆきたいひそやかな遺言である」(15年4月26日)
松本清張は永遠の未踏峰
朝日新聞にも何度も投書している。1992年5月26日の「声」欄では映画監督の伊丹十三氏が暴漢に襲われた事件について書いている。
「私たち文筆業者にとって大きな衝撃であった。かつて『悪魔の飽食』で森村誠一氏が右翼の標的にされたり、朝日新聞の小尻記者が射殺されたり、脅威が現実になった例は少なくない・・・伊丹氏の奇禍は言論人全員に対する挑戦と受け止め、覚悟を新たにすると同時に、警察の一層の奮起を望むものである」
2006年2月10日の「声」欄では、紀子さまご懐妊問題で筆を執っている。男性の国会議員がテレビのインタビューに「男の子であったら、うれしい」と答えていたことに、「あぜんとした。何と不用意な発言かと思った」と。「旧憲法時代の男尊女卑思想そのもの」「男の子を産むことのできないでいるお嫁さんの心をどれほど傷つけていることか。全国の女性はもちろん、男性も大いに怒るべきだ」と憤る。
大先輩、松本清張氏の死去に関しても「声」に投稿している。92年8月7日の掲載だ。「私が推理小説を書く道を歩むようになったきっかけは、松本清張氏の存在を抜きにしては考えられません。『点と線』『砂の器』といった作品は、まさにトラベルミステリーの先駆。私の書くものなどは、その影響から生まれた亜流でしかない」。
「日本の文学風土に、氏は「推理小説」という手法によって、人間の哀歓を描き、政治・社会の矛盾や悪を鋭く抉(えぐ)る、まったく新しい境地と可能性を切りひらいたのです」
「訃報に接し、悲しみと同時に身の引き締まる思いがします。松本氏と氏の作品は、私にとって、いつか越えたいと願う永遠の未踏峰でありつづけることでしょう」
投書の肩書はいつも「軽井沢町、作家、内田康夫」。えっ、この人あの内田さんじゃないの、と気づく人もおれば、気づかない人もいたかもしれない。大人気作家にも関わらず、一般の読者と同じ視線で投稿し、新聞の片隅に、「庶民の声」として自分の意見が掲載されることにこだわった人でもあった。