【震災7年 明日への一歩】高校生が作ったドラマの主人公 「被災体験、日本中でもっと話し合えたら」

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   J-CASTニュースでは、東日本大震災が発生した2011年3月11日以降、被災地を定期的に取材して現地の様子を伝えてきた。

   震災から7年目となる2018年も福島、宮城、岩手の3県を記者が訪れる。被災した人たちが苦労しながらも、明日への一歩を踏みしめている様子をリポートする。

  • 短編ドラマ「これから。」のワンシーン(画像提供:相馬クロニクル)
    短編ドラマ「これから。」のワンシーン(画像提供:相馬クロニクル)
  • 各地で開かていれる上映会の様子
    各地で開かていれる上映会の様子
  • 短編ドラマ「これから。」のワンシーン(画像提供:相馬クロニクル)
  • 各地で開かていれる上映会の様子

将来の不安をドラマの役に重ねた

   記者は1本の映像を見た。こんな場面が登場する。

   「未来(みく)」という名の少女が、いとこに電話をかけた。5年前に一緒に埋めたタイムカプセルを掘り出そう、だからウチに遊びに来て、と誘った。だが相手の反応は今ひとつで、代わって電話口に母親が出てきた。娘を行かせるのをちゅうちょする物言いだ。「なんでって、放射能危ないじゃない。しかも掘り起こすってことは土触るんでしょ。それってよくないでしょ」。結局、最後は断られてしまう。

   未来が住む土地は、福島――。

   これは2014年、福島県立相馬高校放送局に所属する生徒たちが制作した、「これから。」という17分の短編ドラマだ。卒業制作でつくられ、Eテレで2014年4月に放送された「東北発 未来塾」の中で、映画監督の是枝裕和氏が指導した。

   未来を演じたのは、当時2年生だった荒優香さん(21)。相馬市出身で、東日本大震災では地震や津波の被害を免れたものの、自宅は兼業農家だったため、東京電力福島第1原発の事故の影響が出た。祖父母は、「生きがい」としていた農産物をつくれなくなり、家族にコメや野菜をふるまえない無念さから落ち込んでいた。

   先述した「これから。」は、こう続く。未来はひとりでタイムカプセルを掘り起こす。フタを開け、最初は懐かしそうに笑う。だが手についた泥を見つめた後、おもむろにタイムカプセルを放り出す。「放射能に汚染された土」に感情を爆発させたと、記者には見えた。

   目に見えない放射能は荒さん本人にとっても、農業を営む家族を悲しまる原因だった。「当時は怒りや不安、『なんで福島だけこんなに...』という思いがありました」と、取材に答えた。未来という役柄には、高校生だった自分の状況や将来の不安を重ねていた。大学進学で上京しても周りに溶け込めるだろうか、福島出身ということで差別を受けないか、ふと我に返った時に頭をよぎった。

   世の中がどうなっていくかも、気になった。事態が悪化するのではないか、原発事故の教訓が生かされなかったら......懸念は尽きなかった。

震災を経験したのは被災地の人だけじゃない

   高校時代の経験がもうひとつ、ある。友人と被災体験を率直に話し合えなかったのだ。

   「これから。」では、未来が友人の「志保」と「華」と共に、卒業記念でタイムカプセルを埋めようと決める。何年後の自分に宛てるかを巡り、志保と華は5年後を提案するが、未来は「30年がいい」と譲らない。こだわる理由を問われ、答える。

「30年経てば、何か変わっているかもしれないし」

   友人にも、はっきりと「何か」を口にできない歯切れの悪さ。そこから、故郷がそう簡単には元の姿に戻らないだろうと悲観的に考えている胸の内が想像できる。

   被災地では、誰もが大きな苦しみを味わった。ところが、家族を失った人、家を流された人、避難を余儀なくされた人、逆に影響は最小限だった人と状況はさまざまで、相手の被害の度合いを知らないとうかつに聞けない「空気」があった。お互いつらいはずなのに、気持ちの共有が容易ではなかったのだ。

   荒さんは現在大学生だが、高校時代に抱えたいろいろな不安はあまり解消されていないと明かす。半面、心の変化もあった。きっかけは米国留学だ。米大統領選真っただ中の時期、友人たちが、支持する候補者をめぐって意見をぶつけ合うのを見た。驚いたのは、議論が終わった後は元の仲良しに戻っていた光景だ。とても新鮮に感じたと同時に、「自分の意見を持っていていい、みんなと同じでなくてもいいんだ」と思いを強くした。

   学生生活の中では、新しい出会いも生まれた。高校時代に部活の顧問だった渡部義弘教諭(47)は現在、別の高校で教壇に立つかたわら、相馬高校放送局卒業生の作品を上映するための任意団体「相馬クロニクル」を設立し、全国で上映活動を続けている。荒さんはしばしばその手伝いで上映会に参加し、高校時代に自分がかかわった作品について語ったり、参加者の質問に答えたりしている。その経験を通して、多様な考え方に触れた。

「私の意見は、福島の意見のひとつでしかありません。上映会に来られた皆さんが福島に関心を向け、ほかの多くの人々の意見にも興味を持ってもらえたら」

   東京の友人に「震災の日、どうしてた?」と尋ねると「私は震災を経験していないから」という答えが多く返ってきた。「でも、みんなそれぞれ経験しているんです。東京も大きく揺れたし、怖い思いをした人だっています」。東日本大震災の被災地に限定するのではなく、日本全体で震災について考えるようになってほしいと願う。「津波の映像を見て怖かった」「当時は海外にいて、日本の家族と連絡が取れず大変だった」というのも震災体験だ。時間の経過とともに震災の記憶の風化が懸念されるなかで、今こそ各自の経験を気軽に共有し、意見を出し合える世の中になることを、荒さんは望んでいる。

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