【震災7年 明日への一歩】高校生が作ったドラマの主人公 「被災体験、日本中でもっと話し合えたら」

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震災を経験したのは被災地の人だけじゃない

   高校時代の経験がもうひとつ、ある。友人と被災体験を率直に話し合えなかったのだ。

   「これから。」では、未来が友人の「志保」と「華」と共に、卒業記念でタイムカプセルを埋めようと決める。何年後の自分に宛てるかを巡り、志保と華は5年後を提案するが、未来は「30年がいい」と譲らない。こだわる理由を問われ、答える。

「30年経てば、何か変わっているかもしれないし」

   友人にも、はっきりと「何か」を口にできない歯切れの悪さ。そこから、故郷がそう簡単には元の姿に戻らないだろうと悲観的に考えている胸の内が想像できる。

   被災地では、誰もが大きな苦しみを味わった。ところが、家族を失った人、家を流された人、避難を余儀なくされた人、逆に影響は最小限だった人と状況はさまざまで、相手の被害の度合いを知らないとうかつに聞けない「空気」があった。お互いつらいはずなのに、気持ちの共有が容易ではなかったのだ。

   荒さんは現在大学生だが、高校時代に抱えたいろいろな不安はあまり解消されていないと明かす。半面、心の変化もあった。きっかけは米国留学だ。米大統領選真っただ中の時期、友人たちが、支持する候補者をめぐって意見をぶつけ合うのを見た。驚いたのは、議論が終わった後は元の仲良しに戻っていた光景だ。とても新鮮に感じたと同時に、「自分の意見を持っていていい、みんなと同じでなくてもいいんだ」と思いを強くした。

   学生生活の中では、新しい出会いも生まれた。高校時代に部活の顧問だった渡部義弘教諭(47)は現在、別の高校で教壇に立つかたわら、相馬高校放送局卒業生の作品を上映するための任意団体「相馬クロニクル」を設立し、全国で上映活動を続けている。荒さんはしばしばその手伝いで上映会に参加し、高校時代に自分がかかわった作品について語ったり、参加者の質問に答えたりしている。その経験を通して、多様な考え方に触れた。

「私の意見は、福島の意見のひとつでしかありません。上映会に来られた皆さんが福島に関心を向け、ほかの多くの人々の意見にも興味を持ってもらえたら」

   東京の友人に「震災の日、どうしてた?」と尋ねると「私は震災を経験していないから」という答えが多く返ってきた。「でも、みんなそれぞれ経験しているんです。東京も大きく揺れたし、怖い思いをした人だっています」。東日本大震災の被災地に限定するのではなく、日本全体で震災について考えるようになってほしいと願う。「津波の映像を見て怖かった」「当時は海外にいて、日本の家族と連絡が取れず大変だった」というのも震災体験だ。時間の経過とともに震災の記憶の風化が懸念されるなかで、今こそ各自の経験を気軽に共有し、意見を出し合える世の中になることを、荒さんは望んでいる。

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