2017年4月12日にフィギュアスケート選手引退の記者会見を開いた浅田真央さん(27)。それから約一年、メディアに姿を見せることがなかった浅田さんがNHKのロングインタビューに応じた。
スケート靴を捨てようと思ったこともあったが、現在は振り付け、衣装、音楽を自ら考案するアイスショーの制作に打ち込んでいる。将来的には指導者の道に進もうという思いもあるとし、そうしたことを全てやり切った後の生活について、仰天プランを語った。
平昌五輪は見たが出場したいとは思わなかった
浅田さんがインタビューに応じたのは「クローズアップ現代+」(18年3月7日放送)。引退から1年の間は海外での一人旅などをし、多くの出会いを通じた新しい夢への手がかりをつかもうとしていたのだという。引退前は平昌オリンピック出場を目指していたが、やり切ったという気持ちが強かったため、フィギュアスケートを含め多くの競技を見たけれども、
「(オリンピックの事を)思い出したり、(平昌オリンピックに)出たいと思ったことはなかった」
と笑顔で答えた。一度スケートと離れてみたい、スケート靴も捨てようかと言っていたけれども、海外、国内を旅してみんなから励まされているうちに、自分ができること、恩返しできることはスケートしかない、と思った。そのため、いま打ち込んでいるのはこれまでにないアイスショーを制作し、各地で公演すること。そして、スケーターとして滑らなくなった時に、人に教えることが好きなことがわかったため、指導者になりたいという思いも頭の隅にあるとした。浅田さんにとってスケートは恋人であり、家族であり、出会えたことが運命だという。ただし、自分の人生の最後だけは決めているとし、その仰天プランを語ったのだ。
それは、自給自足の生活をするのが最終的な夢で、
「いろんなものがやり切ったなと思ったら、山に行って・・・それこそ海の近くだったら自分で魚を獲ったり、山に出て狩りをしてイノシシをこう捌いたり、そういったことを本当にしてみたいんです」
「最後に原始人クラブに還ったな」
インタビュアーは浅田さんの話を聞き、信じられないと目を丸くして、
「どうしてそんなことを考えるんですか?」
と聞き返すと、浅田さんは、
「食べることが好きだから。それが一番の贅沢って思いますね」
と語った。開放的な場所で自由に伸び伸びと生活し、それで生涯を終えたいのだという。
ネット上ではこの「イノシシを捌く」という言葉に注目が集まり、
「色々と疲れちゃったのかな?」
「出かけるのを おやめなさい」
などと心配の声が掲示板にあがったが、浅田さんをよく知るファンにとっては思わずニヤリとしてしまう発言だったようだ。実は浅田さん、愛知県の高針小学校1年の時に所属していたのが「原始人クラブ」。担任の先生が主宰していたもので、火起こしなどを体験していた。
「まおワロタ、原始人クラブの先生喜んでそう」
「最後に原始人クラブに還ったな」
「最終的に原始人になるw」
などといったことが掲示板に書き込まれた。