本番2週間前ダブルアクセル飛べなかった羽生 コーチが明かした「奇跡の瞬間」

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   羽生結弦はケガ明けの2018年1月の時点で「ダブルアクセルも失敗ばかりだった」という。2月26日放送の「NHKスペシャル『金メダルへの道 逆境を乗り越えて』」で、羽生のジャンプ専門コーチ、ジスラン・ブリアン氏が明かした。

   平昌五輪まで1か月の状況で苦しんでいた羽生。復活のきっかけは、1回転多い「トリプルアクセル」だった。

  • 羽生結弦(2014年4月撮影)
    羽生結弦(2014年4月撮影)
  • 羽生結弦(2014年4月撮影)

「いつもは練習しないダブルアクセルは失敗ばかりでした」

   ブリアン氏は2月16日のショートプログラム、17日のフリースケーティング両方のキス&クライで、羽生の隣に座って喜びを分かち合っていた人物。17年11月の右足関節外側靭帯損傷のケガから、4回転ジャンプを跳べるようになるまでの羽生を指導してきた。

   番組ではケガ明けで練習を再開した1月上旬の様子から明かした。この時は右足に痛みが残り、まだジャンプは跳べなかったという。ブリアン氏は「練習再開1週間で3回転や4回転ジャンプを簡単に跳べると思っていましたが、そうではありませんでした。ジャンプ練習の再開を待てば待つほど五輪が近づき、不安が増していきました」と当時の心境を明かした。

   羽生は五輪に間に合わせるため、痛み止めを使う決心をした。五輪まで3週間の1月中旬、ついにジャンプ練習を始めた。残された時間がわずかしかない中、徐々に回転数を増やした。

   だが、ダブルアクセルが跳べなかった。ブリアン氏は「いつもは練習しないダブルアクセルは失敗ばかりでした。体がトリプルアクセルの跳び方しか覚えていないからです」と振り返った。

   そこで、トリプルアクセルを跳んでみたらどうかと持ちかけたところ、これが功を奏した。「一発で決めました。羽生は『オーマイゴッド!』と言って笑っていました。このとき、大きな手ごたえをつかんだのです」と光明が差した。その数日後には4回転を跳んでいたという。五輪2週間前だった。

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