急逝の大杉漣さん、緊急追悼「徹子の部屋」で明かしていた芸名の由来とフォークソングの関係

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   名バイプレーヤーとして活躍した俳優、大杉漣さんが66歳で急逝したことを受け、芸名の「漣(れん)」(本名は孝)が誕生したきっかけのエピソードを関係者がツイッターで紹介した。

   大杉さんが、若いころから大のフォークソング好きだったことが関係していたのだという。

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「息子さんの名前を芸名に下さい」

   大杉さんの死去は2018年2月21日夜に公表された。ほどなく、マルチ弦楽器奏者の高田漣さん(44)はツイッターで、

「信じたくないです。あんなに強い人が...」

と投稿。続けて

「若き日の頃の大杉さんは父・高田渡の所にやって来て息子さんの名前を芸名に下さいと直談判に来たという」

というエピソードや、その後の大杉さんとの交流に触れ、

「優しい大先輩でした」

と追悼した。つまり、高田漣さんの「漣」の字をもらって、大杉さんが「大杉漣」の芸名をつけた、というわけだ。

   高田漣さんの父で故人の渡さんは、1960年代に活動を始めた伝説的フォークシンガーとして知られる。大杉さんは若い頃からフォークシンガーにあこがれ、自身でも演奏していた。そして、好きな歌手だった高田渡さんに頼んで、息子・漣さんの名前を芸名としてもらったのだ。こうした経緯は以前、テレビのトーク番組の中で大杉さん本人が明かしていた。

   大杉さんが急逝した翌日の2月22日、黒柳徹子さん司会のトーク番組「徹子の部屋」(テレビ朝日系)は予定を変更し、緊急追悼番組として、大杉さんが過去に出演した2回の内容を放送した。2000年(大杉さん48歳の時)と05年(同53歳)の回で、芸名「漣」については、00年の放送で語っていた。

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