「安倍」と書くのは嫌だ
「日本人は俳句に対してもっと自由にならないかなぁと思います。『てにをは』がどうだとか、季語が入るとか、これは川柳なのかとか、どうでもいいじゃないですか」(NTTコムウェア『COMZINE』2011年9月号インタビューより)
俳句づくりで細かいことを気にするな、大事なのは作者の感覚だ――金子さんは戦後の「現代俳人」「前衛俳人」の代表格と見なされ、花鳥風月を季語で表現することを旨とする伝統的な俳壇に真っ向から挑んだ。
師事した加藤楸邨は、「人間探求派」と呼ばれ、生活や自己の内面に深く根ざした作風だった。加えて金子さんの戦争体験が、戦後の現実を、体当たりの力技で俳句とすることにこだわらせた。
86年に「異端」の金子さんが朝日俳壇の選者に選ばれると、俳壇にセンセーションを巻き起こす。選んだ句に対し、「おかしい」というハガキがいっぺんに数十通も届いた。一時は伝統系の有力俳人たちが社主に「辞めさせろ」と直訴する事態にもなった。
朝日俳壇は新聞俳壇の頂点にあるといわれる。高浜虚子、中村草田男、石田波郷、山口誓子らそうそうたる俳人が選者を務めてきた。毎週数千句の投稿があり、現在の選者は4氏。伝統から前衛まで、それぞれ俳句観が異なるので、複数の選者が同一句を選ぶことはまずない。金子さんは30年にわたって選者を続け、週1回の選句会に出席、「終生選者」を目指すと宣言していた。
2015年は「書家」としてもスポットが当たった。「アベ政治を許さない」の文字を書いたからだ。依頼したのはこの年、自身の戦争体験『14歳〈フォーティーン〉満州開拓村からの帰還』を出版した作家の澤地久枝さん。「非業の死者に報いる」ことを戦後人生の原点としていた金子さんは「こっちからお願いしてでもやらなくちゃ」と引き受けた。「安倍」は、「安心」や「安寧」が倍になるから、という理由で「アベ」にしたという。(『あの夏、兵士だった私――96歳、戦争体験者からの警鐘』清流出版)
金子さんは「反」の人だと日経新聞(14年8月1日)は評した。反戦、反出世、俳句も反権威・・・。何かのイデオロギーで「反」というわけではない。「人間丸出し」の人生を貫いているうちに、「反」になっていた。
「後世に、金子兜太はどんな俳人だった言われたらうれしいですか」――共著『私の骨格「自由人」』NHK出版)の中で聞かれると、金子さんは「自由の俳人だったといわれればうれしい」「俳句そのものだったといわれてもうれしい」「俳句しかとりえがなかったといわれてもうれしい」と答えていた。
句集や俳句論など著書多数。小林一茶に魅せられて晩年、『荒凡夫(あらぼんぷ)一茶』(白水社)を出した。「荒」は「自然」と重なり、何ものにもとらわれずに生きる姿だという。金子さん自身も一茶のように「荒凡夫」、それも気骨ある「荒凡夫」として生きた。